◇恩師賀宴
◇中秋小集
◇雪中訪友
◇新春囲碁
◇同学憶舊
◇月下會友
◇故人急逝
◇有友集川床
◇交友
◇楽碁会
◇新人入来
◇賀初孫三歳
◇故人久集酌酒
私の恩師に当たるK先生が、この度、瑞宝中綬章の栄誉に浴することになりました。K先生は、私の学生時代は土木系研究室の助手でした。その後教授となられ、教学の業績が高く評価されて今回の受賞に至ったわけです。
K先生の後継の先生から連絡があり、K先生にお祝い会をしたいと申し入れたら、「そんな大げさなことをする必要はない」と断られたのだがどうしたらいいか、という相談でした。それなら、新年会という名目に看板を掛け換えたらどうかということで、私からK先生に「久しぶりに新年会を開きたい」と申し入れ、新年会という名の賀宴(お祝い会)を大阪で開催することになりました。
意訳 同窓生が集まって宴会を開き、恩師の今回の瑞宝中綬章という栄誉を讃えた。一時も倦むことのなく、長年にわたって教育と研究に専心した結果得られた業績は、今輝かしい光を放っている。
定期的に行っている同窓会としては、大学同級生の会、会社のOB会、業界の役員OB会などがありますが、最近は武漢肺炎の影響で途絶えがちです。しかし今年の秋には、大学同級生の喜寿の会が予定されています。同窓会は京都で行うことが多く、鴨川の川床で行うこともあります。この詩は、その川床で以前に行った業界の役員OB会の様子を思い出して詩にしたものです。
意訳 中秋の月をさざ波に投じて、鴨川の水はさらさらと音を立てて流れて涼しい雰囲気を醸し出している。この川の畔で久しぶりにOB会で友が集まり宴会を開いた。すると、どこからともなく楽し気な鳴り物と歌が聞こえてきた。
中秋月影映清波 中秋の月影 清波に映じ
鴨水潺湲涼意多 鴨水潺湲として 涼意多し
久闊迎朋川畔宴 久闊 朋を迎え 川畔の宴
良宵何處湧絃歌 良宵 何れの処か 絃歌湧く
(註) 潺湲=さらさらと流れるさま、水の音
令和四年八月 光琇
春風料峭雪初晴 春風料峭 雪初めて晴れ
遠訪故人青眼迎 遠く故人を訪えば 青眼迎う
日暮交杯同入夢 日暮 杯を交わせば 同に夢に入り
夢醒寒月六花明 夢醒むれば 寒月に六花明らかなり
(註一) 料峭=春風のはだ寒いさま
(註二) 故人=以前からなじみの人
(註三) 青眼=喜んで対応する目つき
(註四)六花=雪
令和二年一月 光琇
意訳 雪空がやっと晴れたが、春風はまだ肌寒い。そんな中、遠くに住む古くからの友人を訪ねると暖かく迎えてくれた。日暮れから酒を酌み交わせば、ともに昔にかえって夢うつつになってしまった。夢から覚めると、寒空の月が降り積もった雪を照らしており、その美しい光景に見惚れてしまった。
新春に降り続いた雪があがったので、昔からの友人を訪ねました。学生時代によく一緒に飲んだ友人です。当時、ウイスキーは高級品だったので、下から2番目のレッド(500円)が定番でした。今は店でレッドは見かけないので、もう製造されていないかもしれません。たまにお金のある時にはランクアップしてホワイトも飲みました。ホワイトは当時700円ぐらいだったと思います。レッドは舌にピリッとした刺激があったのに対して、ホワイトはマイルドな感じがしました。
そんな昔話をしながら友人と酒を飲みながら話し込んでいるうちに、うつらうつらとしてしまい、はっと目覚めると、降り積もっていた雪が月光を照り返して美しく輝いているのが目に入りました。
日本棋院5階には「幽玄の間」があります。プロ棋士が対局する部屋です。川端康成が昭和46年の日本棋院市ケ谷会館落成を祈念して揮毫した掛け軸「深奥幽玄」が床の間にあります。「深奥」も「幽玄」も奥深くて計り知れないという意味です。囲碁は本当に奥深いので、私はいつも大事なところで打ち間違って(失着して)負けてしまいます。
承句(第二句)は、当初「石は幽玄に入り・・・」としていたのですが、意味がわからないという指摘を受けました。たぶん囲碁をされない方だと思います。意味が通じなければ話にならないので「石は昏迷に入り・・・」に変更しました。
新春對坐手談會 新春に対座す 手談の会
石入昏迷苦悶催 石は昏迷に入り 苦悶催す
恨是好機空失着 恨むらくは是 好機の空しき失着
低頭切切歎無才 頭を低れて 切々 才無きを歎ず
(註) 手談=碁を打つこと、囲碁
令和二年一月 光琇
意訳 新春の囲碁会で打ち進むと、局面は複雑を極めてわけがわからなくなった。そのために、悔しいことに絶好のチャンスに手を間違えて負けてしまった。反省しきりだが、結局のところ才能がないということを歎くほかない。
京都大学土木系の卒業生は、5年ごとに同窓会を行っています。今回はいつの間にか10回目、すなわち50年会となりました。宴会の後は囲碁やカラオケとなりましたが、日帰り組は早々と引き上げていきました。「いつまでやるのか」ということが議題になりましたが、「最後の一人になるまで」ということになりました。
場所は京都府亀岡市にある湯の花温泉で、今まで温泉街を通り抜けてゴルフに行ったことは何回かありましたが、宿泊したのは今回が初めてです。静かな山あいにあり、戦国時代には傷ついた武将たちが刀傷を癒したとの伝説を残す古い温泉郷です。
同学盍簪秋夜筵 同学盍簪す秋夜の筵
歓談憶旧酒樽前 歓談し旧を憶ゆ 酒樽の前
問君安在青雲志 君に問う 安に在りや青雲の志
我是偸生楽晩年 我は是 生を偸んで 晩年を楽しむ
(註一) 盍簪=友達同士が集まること
(註二) 生を偸む=恥を忍んで生きながらえる
令和元年十月 光琇
意訳 大学同学年の仲間が集まり秋の夜に宴会を開いた。酒を酌み交わして歓談すると、50年以上前の青春時代が思い出されてくる。「君はあの時の青雲の志をどこへやったのだ」と冗談交じりに相手に問うているが、それは安穏な晩年に満足している自分に問うべき言葉である。
鴨川の西岸には、夏場に川床(もしくは納涼床)が設けられて、そこで食事をしたりお酒を飲んだりして楽しむことができます。90件余りの店があるようです。これが年中行事化したのは17世紀の初頭といわれ、江戸時代から京都の夏の風物詩となっていたようです。
退職後に、大阪周辺の同業者OBと懇親会をやることになった時に、幹事に提案して川床を初めて利用しました。OB会は年に数回あるのですが、そのうちの1回は必ず川床で行うようにしています。川の上とはいえ、風がなければ蒸し暑いし、雨が降れば室内に移動する必要がありますが、人気のスポットになっています。
良宵相會雅筵開 良宵に相会して 雅筵開く
共談往事歓無限 共に往事を談ずれば 歓限りなし
剰有團團月影回 剰え 団々たる月影の回る有り
(註一) 潺潺=水のさらさらと流れるさま
(註二) 雅筵=みやびやかな宴席
令和元年八月 光琇
意訳 京都の賀茂川がさらさらと流れる岸辺に川床が設けられており、そこに旧友が集まり夏の夕涼みの宴会となった。昔のことを語りだすと、話が尽きない。それだけでも楽しいのに、東の空に満月という演出のおまけまでついて、感極まりない夜になった。
10月末に友人がなくなりました。夏の飲み会に腰が痛いので出られないという連絡があり、その直後に腰痛の原因が肺がんであることがわかり、急遽入院となりました。見舞いに行って、次いつ行こうか考えていた矢先に訃報の連絡が入りました。友人がなくなるのは寂しいことです。しかし遺影が結構明るい顔だったのがせめてもの救いでした。
この詩に「絶弦」という言葉が出てきます。以下は、漢字源による絶弦の解説です。故事琴の糸をたち切る。転じて、親友の死を嘆き悲しむこと。琴の名人伯牙(ハクガ)が親友の鐘子期(ショウシキ)の死後、琴をひくのをやめたことから。伯牙絶弦。「破琴(ハキン)」とも。
訃報驚嘆聞尚疑 訃報に驚嘆し 聞きて尚疑う
暮寒仏寺露華滋 暮寒の仏寺 露華滋し
香煙縷縷絶弦恨 香煙縷々 絶弦の恨み
低首霊前憶往時 霊前に首を低れ 往時を憶う
(註一) 故人=以前からなじみの人
(註二) 絶弦=親友の死を嘆き悲しむこと(破琴ともいう)
平成二十九年十一月 光琇
意訳 訃報に驚いて耳を疑った。葬儀に参加すると、会場の周辺では露がしっとりと光っていた。線香の煙る中、親友の死が痛ましく残念でならない。霊前に首を垂れると、一緒に仕事をした時のことが思い出される。
風涼鴨水坐清漣 風は涼し 鴨水 清漣に坐し
故旧相逢樽酒前 故旧相逢う 樽酒の前
六六山峰明月宴 六六の山峰 明月の宴
高談痛飲楽余年 高談 痛飲し 余年を楽しまん
(註一) 清漣=すんだ水の表面にたつさざ波
(註二) 故旧=以前からの知り合い
(註三) 六六山峰=東山三十六峰をさす
平成二十九年六月 光琇
京都の夏の風物詩「川床」では、5月1日から9月30日の間、鴨川の右岸(西岸)の川の上に納涼床が張り出されます。二条から五条の間に90余りの床が並び、懐石、割烹、京料理などの和食だけでなく、中華料理や西洋料理も楽しめます。その発祥は江戸時代にまでさかのぼり、富裕商人が見物席を設けたのが始まりだそうです。昭和27年には「納涼床許可基準」が制定され、京都鴨川納涼床協同組合が川床の適正な管理を行っています。
毎年夏に、この川床で業界の役員OBで懇親会を行っています。初回は宴会を始めたとたんに小雨が降りだし、店内に引っ越しました。しかし翌年からは川床の雰囲気を楽しみながら昔話に花を咲かせています。
意訳 風が涼しい鴨川のさざ波のそばに座って、旧友と会って酒を友にした。東山三十六峰に名月を仰いでの宴会だ。大いに談笑し、また思いっきり飲んだが、これからも友人たちと余生を楽しみたいものだ。
1年に1回、会社のOBと現役幹部との懇親会があります。最近までは会社の小部屋でOBだけ集まって缶ビールでこじんまりと行っていました。私が現役として初めてそこをのぞいた時に、これではいけないと思って、翌年から現役の幹部も参加するようにして、場所も広い宴会場に変え、その後ホテルで行うようになりました。それからは遠方のOBも参加してくれるようになり、参加人数も増えていきました。
今年は会社創立70年となりますが、これまで経営が傾いたことがありません。以前は、そんなことは当たり前と思っていたのですが、最近の大企業の不祥事や経営破綻のニュースを聞くと、当たり前のことが実はOBの皆さんの大変な努力の積み重ねであったという思いを深くします。私の現役最後の懇親会参加となり、次回からはOBとしての参加となります。
旧朋久闊会江隈 旧朋 久闊 江隈に会す
往事茫然如夢回 往事茫然 夢の如く回る
霜鬢相知人易老 霜鬢 相知る 人の老い易きを
得時何日再傾杯 時を得て何れの日にか再び杯を傾けん
(註一) 久闊=長い間会わないこと
(註二) 江隈=川べりの奥まったところ
(註三) 霜鬢=白い鬢毛
平成二十八年六月 光琇
意訳 古くからの友人たちと久しぶりに鴨川の一角に集まった。以前に彼らと苦楽をともにしたことが茫然と頭の中をめぐる。すでに白髪頭になって、年月が瞬く間にすぎることをお互いに確認し、またいつか、いい機会を見つけて再び酒席を設けようということにした。
春暉満溢玉房邊 春暉満溢す 玉房の辺
対坐囲棋日午天 対座して棋を囲む 日午の天
烏鷺相爭盤上乱 烏鷺は相争いて 盤上に乱れ
輸贏不決日將斜 輸贏は決せず 日 将に斜めならんとす
(註一) 烏鷺=黒石と白石のたとえ
(註二) 輸贏=勝敗
平成二十六年一月 光琇
自宅の近くに囲碁クラブがあり、毎週日曜日に集まり、1月には初碁会をやります。集まるのはなぜか老人ばかりです。何年か前に「ヒカルの碁」という漫画が出版され、子供たちの間で囲碁人気が高まってからは、年齢構成は瓢箪型になったようです。
囲碁は相手の石を取ったり脅かしたりしながら自分の陣地を広げ、その広さを競うゲームです。戦術・戦略が国取りの駆け引きに通じるところから、信長、秀吉、家康などの戦国武将にも好まれたようです。
戦いにおいては、自分の足元を固めてから攻めに転じないと、攻めている自分の石が逆に攻め取られてしまいます。私は、「相手の弱点が見えるが自分の弱点は見えない」という性格のため、いつも守りを欠いたまま攻めて負けてしまいます。
意訳 のどかな春の光が満ち満ちている部屋で、昼から碁盤を囲んでいる。白石と黒石とが相争って盤上は乱れに乱れており、なかなか勝負がつかずに已に夕方になろうとしている。
例年4月の桜の季節になると、大学を出たての新人たちが入社します。会社としては、一人前の社会人、技術者に育ってもらうために、集中的・継続的にトレーニングをします。
小学校から大学までの教育課程では、知識教育が中心で試験でも知識を覚えているかどうかを問う問題が中心です。また問題には必ず1つの正解があり、正解と不正解がはっきりしています。入試問題で正解が2つあったような場合には、ニュースで大きく報じられるぐらいです。これに対して、一般社会では知識を駆使して問題を解決する能力が問われます。正解がない場合もあるし、正解がいくつかあり、それらを総合的に評価して一つを選択する、という場合もあります。今までのようにマニュアルはありません。新人には、そんな学校とは全く異なる世界に早く溶け込んで活躍してもらいたいと思います。
春色満窓花影鮮 春色満窓 花影鮮やかなり
紅顔粛粛一心堅 紅顔粛々として 一心堅し
時時可耐江湖路 時々耐ゆべし 江湖の路
切磋琢磨窮絶巓 切磋琢磨し 絶巓を窮めよ
(註一) 江湖=世間、世の中
(註二) 絶巓=山などのいただき
平成二十五年四月 光琇
意訳 春の気配が窓いっぱいに満ちて花もきれいに咲きそろっており、和やかな雰囲気だが、新入社員の若い顔は緊張で引き締まっている。これからの長い会社人生、時として耐えねばならぬことも多かろう。切磋琢磨して頂点を目指し頑張ってほしい。
弄瓦三年生日回 弄瓦三年 生日回る
容姿如媛可憐哉 容姿媛の如く 可憐なる哉
諳書好問談諧滑 書を諳んじ問うを好みて 談諧滑らかなり
顔色怡怡掌上開 顔色怡怡として 掌上に開く
(註一) 弄瓦=女の子が生まれること
(註二) 談諧=楽しそうに話すこと
(註三) 怡怡=やわらぎ喜ぶ
(註四) 掌上に開く=掌中の珠より(自分にとって最も大切なも
の、子供・妻などのたとえ)
平成二十三年十二月 光琇
意訳 女の子が生まれて三年の誕生日がめぐってきた。姫のようにかわいい初孫だ。読んであげたお本の話を覚え、あれこれと楽しそうにたずねてくる。いつもにこにこしており、目に入れても痛くない。
初孫は女の子です。たった一人の孫です。中国語では、息子の息子を「孫子」、息子の娘を「孫女」、娘の息子を「外孫子」、娘の娘を「外孫女」というように使い分けています。この孫は娘の娘なので、中国流でいえば「外孫女」ということになりますが、そんなややこしいことは無視して、単に「初孫」としました。それはさておき、孫は海外で生まれたのでなかなか会えなかったのですが、生後半年で日本に帰ってきてくれました。三歳はかわいい盛りです。
本を読んでもらうのが好きですが、読みだすとやめさせてくれないのが難点です。公園の砂遊びでも同じです。何かを一緒にやりだすとやめさせてくれません。学校に行くようになると、友達のほうがいいということで「じじ離れ」するでしょうから、なついてくれている間は、やめさせてくれないことぐらいは我慢すべきでしょう。子育ての時に比べると時間的余裕があるので。
大学時代の研究室の友人とJRの駅でバッタリ会って、久しぶりに関西在住の研究室卒業生を集めて飲んで騒ごうという話になりました。早速幹事を引き受け、ご指導いただいた先生や卒業生に声をかけて新大阪のホテルに集まってもらいました。私は、卒業して40年もたっているので、いつのまにか最年長組に属していました。そのため、後輩たちに多少カッコをつけなければいけないので、最近漢詩作りを始めたということで、処女作である「天城路」を披露しました。
久しぶりとはいっても、普段仕事の関係で会っている人たちもいます。仕事で会う時には、皆さん地位や立場があるので、打ち解けてざっくばらんに話すというわけにはいきません。この詩の転句(第三句)では、今夜は「冠帯(冠をかむり帯をきちんと結んだ礼装)を解いて、ざっくばらんに話そうよ」と呼びかけ、結句(第四句)では、皆腹いっぱい酒を飲んだので、「1斗の酒ももうなくなりそうだ」と、大げさに結んでみました。
修學離京四十年 修学 京を離るること四十年
重逢良夜醉陶然 重ねて良夜に逢い 酔うて陶然たり
勸君則可解冠帶 君に勧む 則ち冠帯を解くべけんや
斗酒欲澌聖與賢 斗酒澌きんと欲す 聖と賢と
(註一) 故人=古い友達
(註二) 陶然=酒に気持ちよく酔うさま
(註三) 聖賢=(清酒を聖人、濁酒を賢人というところから)清
酒と濁酒
平成二十三年十月
意訳 大学を卒業して京都を離れて四十年。再びよき日の夜に集まり、酔っていい気分だ。君たち、今夜は無礼講でいこう。一斗の清酒・濁酒も早や尽きんとしている。