◇保津峡
◇上芥川清流
◇看菊花展
◇新涼散策
◇良宵閑吟
◇木谷沢渓流
◇恵那峡舟行
◇四万十川舟行
◇竹生島
◇葛城古道
◇嵐山舟遊
◇哲学道
◇尋天城路秋
保津峡は、京都府亀岡市から京都市右京区の嵐山に至る16kmの保津川(桂川)の渓谷です。春は桜、秋は紅葉と四季にわたって楽しめます。この保津峡を川下りするのが保津川下りです。深淵あり、激流ありで、曲がりくねった渓谷を楽しみながら2時間の船旅を楽しめます。渓谷に沿ってハイキング・コースがあり、またトロッコ列車が走っています。この列車は、山陰本線の線形が改良されて1989年まで廃線となっていた路線を、1991年に観光用として利用したもので、7.3kmをレトロな列車が走ります。
「保津川下り」というと、やはり船に乗って川を下るということになるのでしょうが、私の場合はトロッコ列車で亀岡から嵐山まで下りました。その列車から見た秋の保津峡の風景です。
意訳 保津の峡谷を清流がほとばしって流れ、紅葉した楓の葉が乱れ飛んで波の上に浮かんでいる。両岸が谷を穿つように連なりその間を右左にと船頭が軽舟を操っている。その時、夕陽の木漏れ日が突然舟の中に差し込んでくるのだった。
芥川は、大阪府高槻市と京都府亀岡市との境付近を源とし、高槻市を南下して同市南部で淀川に合流しています。亀岡市の生活排水は保津川で京都市側に流れるため、芥川はいつも清流を湛え、中流では鮎の放流も行われています。中流の下の口・上ノ口間の摂津峡は滝もあるハイキング・コースになっています。下の口には温泉旅館があり、またそこの摂津峡公園は桜の名所として有名で、シーズンには大勢の人たちでにぎわいます。
11月初旬に自宅の近所にある摂津峡にふらりと出かけました。岩の間には豊かな清流を湛え、魚たちも気持ちよさそうに泳いでいました。その魚を狙う鳥たちも水面を飛び交い、芥川はまさに動物たちの楽園です。
意訳 秋風がやわらかく吹き川の水がさらさらと流れている。切り立った両岸の間の楓の紅葉が美しい。更に渓流を上ると、また違った多くの自然を楽しむことができる。岸から水が湧き出ており、その清らかな水をすくって顔を洗い汗を流した。
露濕黄花供覧園 露は黄花を湿す 供覧の園
淡粧濃抹涙留痕 淡粧 濃抹 涙 痕を留む
清香満地旻天下 清香 地に満つ 旻天の下
半日悠然忘累煩 半日 悠然として 累煩を忘る
(註一) 黄花=菊、菊花
(註二) 累煩=わずらわしいかかわりあい
令和四年十月 光琇
高槻市では、市役所の東側で毎年菊花展が催されています。もう50年以上続いており、今年は10月26日~11月9の2週間の開催です。高槻市菊花協会による主催で、この協会は1968年に設立されたようです。当時、都市への人口集中による宅地開発で緑が消えていくことを歎いた各地区の菊愛好家が集まり、公民館などで開催していた展示会を高槻市文化祭にて「菊花展」として行うようになった際に設立された団体のようです。
無料で見せてもらって文句を言うのは気が引けますが、せっかくきれいな花を展示するので、味気ないコンクリート建築物横の歩道上ではなく、こぎれいな広場で開催してもらったら花たちも喜ぶのではないでしょうか。高槻市は、安満遺跡公園などのきれいな公園やおしゃれな街かど整備などをしているのですから。
意訳 展示の菊花は秋の露を含んでうるおい、薄化粧も厚化粧も涙(露)を留めている。秋空の下で菊の清らかな香りが満ち満ちて、半日の鑑賞で悠然とした気分になり、日常の煩わしさを忘れることができた。
琵琶湖は言うまでもなくわが国最大の湖で、面積は六六九平米で淡路島がすっぽり収まる大きさです。貯水量は二七五億トンで、これは黒四ダム(有効貯水容量一・五億トン)約二百個分に相当します。この数字を見れば、京阪神地域の治水・利水がこの湖に大いに依存していることがよくわかります。
琵琶湖はまた水質がよく、豊かな自然環境を提供しています。水質を保持するために、周辺住民は合成洗剤から粉石鹼に切り替えたり、水質浄化の働きがある蘆を植え付けるなどの取り組みをしています。周辺は平坦な道が多く、サイクリングやウォーキングで琵琶湖の自然を楽しむことができます。
清湖十里水光青 清湖十里 水光青く
風拂炎氛欲窈冥 風は炎氛を払い 窈冥ならんと欲す
處處蟲聲知季序 処処の虫声に 節序を知り
新涼脈脈歩蘆汀 新涼脈々 蘆汀を歩す
(註一) 炎氛=立ち込める熱気
(註二) 節序=季節の移り替わる順序
令和三年八月 光琇
意訳 清らかな水を湛えた湖は青々としてどこまでも続いている。風が昼間の熱気を払って薄暗くなろうとしている。あちらこちらから聞こえる虫の音が季節の変わり目を知らせている。そんな初秋の涼しさが漂う蘆汀を歩いている。
殘蝉啼罷欲昏黄 残蝉啼き罷み 昏黄ならんと欲し
月下開襟納爽涼 月下 襟を開きて 爽涼を納る
蟲語催吟幽草裏 虫語は吟を催す 幽草の裏
和聲金桂送清香 声に和して 金桂は清香を送る
令和二年八月 光琇
今年の関西は、梅雨が7月31日までずれ込んで長雨が続き、8月1日からは雨がピタッと止んでカンカン照りの日が続きました。気が早いですが、長い夏がやっと収まり秋の気配がみえ始めたという想定での作詩です。
起句は初秋の黄昏の場面です。夜になると、うるさい残蝉(秋になってもまだ残っている蝉)の声は鈴虫など候虫(季節の典型的な虫)の爽やかな声に入れ替わります。候虫の声に合わせて閑吟すると、キンモクセイが清香を送って初秋を感じさせてくれます。
意訳 うるさかった蝉も鳴きやみ、たそがれ時をむかえた。月下に襟を開くと、爽やかな涼風が入ってきた。草むらの秋の虫の声に合わせて閑吟すると、どこからともなくキンモクセイの香りが漂ってきた。
山奥溪流涼味清 山奥の渓流 涼味清く
岩苔青處水盈盈 岩苔青き処 水盈盈たり
林間爽氣鳥聲裏 林間の爽気 鳥声の裏
石径雖危歩歩輕 石径危しけれど 歩々軽し
(註) 盈盈=水がいっぱいに満ちるさま
平成三十年十月 光琇
木谷沢渓流は、鳥取県の大山のふもと江府町にあります。森の奥にある渓流では、ブナ林の間を透き通った水がしずかに流れています。渓流の岩肌は苔むして、苔の緑と水の青色が美しく調和して独特の景観を形成しています。また、小鳥たちや小動物の住みかになっています。
渓流を撮影しているときに突然大粒の雨に見舞われ、カメラが濡れてスイッチが入らなくなりました。木谷沢渓流はツアー最初の訪問地だったので、その後の撮影ができなくなり翌々日も撮影ツアーの予定があったので焦りました。幸い帰りのバスの中でカメラは復活しましたが、防水機能のないカメラは水に弱いことがわかりました。
意訳 山奥の谷川の流れは涼しげで清らかだ。苔むした青い岩の所に水が満ちている。林のはあちらこちらから鳥の鳴き声が聞こえてさわやかだ。石の小道が険しいが、足取り軽く散策した。
木曽川の水は、福沢桃介の手で長さ276m・高さ53mという堰堤でせき止められ、1924年に我が国初のダム式水力発電所が建設されました。そのダム湖が恵那峡で、天下の名勝として地理学者志賀重昂氏により名付けられました。恵那峡は、自然と人工の美しさが巧みに調和した峡谷で、春は桜やつつじが咲き誇り、初夏は緑鮮やかな新緑、秋は紅葉が楽しめます。
恵那峡を訪問したのは11月の半ばで、遊覧船で周遊しました。両岸の景色は変化に富み、特に変わった形をした岩が目を引きました。それらは、品の字岩、屏風岩、獅子岩、傘岩などと名付けられています。
小艇悠然湖上行 小艇は悠然たり 湖上の行
風飛玉漼櫓声輕 風は玉漼を飛ばし 櫓声軽し
聳天怪石煙波裏 天に聳ゆ怪石 煙波の裏
兩岸紅楓倒影清 両岸の紅楓 影を倒にして清し
平成二十九年十一月 光琇
意訳 小さな舟に乗って悠然と湖の上を進んだ。風は玉のような水しぶきを吹いて櫓をこぐ音も軽やかだ。奇妙な岩が霞の中で天に向かって突き出ている姿が至る所に見える。両岸の楓の紅葉が湖面にさかさまに映った光景がひときわ清らかだ。
南国深山萬緑稠 南国の深山 万緑稠く
晴川繚繞晩風柔 晴川繚繞 晩風柔らかなり
如歌天楽紫煙岸 歌うが如き天楽 紫煙の岸
漫夢細腰凝兩眸 漫に細腰を夢み 両眸を凝らす
(註一) 繚繞=曲がりくねるさま
(註二) 天楽=天上の音楽
(註三) 細腰=やなぎ腰、美人のこと
平成二十九年十月 光琇
四万十川は全長196kmで四国最長の河川です。本流に大規模なダムが建設されていないことから、日本最後の清流といわれており、また名水百選・日本の秘境百選にも選ばれています。ダムがないことから、強い降雨で水かさが増すため、多くの橋が沈んでも流されない沈下橋の構造となっています。沈下橋は写真に示すように側面に高欄がないため、夜の通行は怖いようです。
早朝に大阪から坂出まで鉄道を利用し、そこからバスで大歩危峡を経て、四万十川まで行きました。そして、そこで舟游して宿泊し、翌日は足摺岬を見学してから夜遅くに大阪に戻りました。一泊でこれだけ回るのは、かなりしんどいツアーです。
意訳 南国の山の奥深くまで進むと、緑樹がぎっしりと繁っている。晴天の下、川は曲がりくねり夕暮れの風が柔らかく吹いている。紫色の岸辺から聞こえてくる自然の物音が(ローレライの)歌のように響いてくる。人魚が登場するわけがないが、そんなことを想像しながら目を凝らしてみた。
竹生島(ちくぶじま)は、滋賀県長浜市に属し琵琶湖の北部に浮かぶ0.14㎢の小島で、琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝及び史跡に指定されています。島全体が花崗岩の一枚岩からなり、切り立った岸壁で囲まれた島内は針葉樹で覆われています。南部に都久夫須麻神社と西国三十三所三十番札所の宝厳寺があり、神仏一体の島になっています。
琵琶湖周航歌の4番で、「瑠璃の花園珊瑚の宮、古い伝えの竹生島、仏の御手に抱かれて、眠れ乙女子やすらけく」と歌われており、竹生島にはその歌碑があります。
湖北秋天蘆岸涯 湖北の秋天 芦岸の涯
煙波揺漾碧漣宜 煙波揺漾 碧漣宜し
遥望笙嶼孤而儼 遥かに望む笙嶼 孤にして儼たり
神仏相和又一奇 神仏相和す 又一奇
(註一) 揺漾=ゆらゆらと漂うさま
(註二) 碧蓮=青いさざなみ
(註三) 笙嶼=竹生島をさす
平成二十九年九月 光琇
意訳 琵琶湖の湖北の秋、岸辺には芦が繁っており、靄の立ち込めた水面にはさざ波がゆらゆらと漂っている。遥かに竹生島が見え、周りから隔絶していて厳粛な雰囲気を醸し出している。島の中では神も仏も区別なく祀られていて興味がそそられる。
幽径連延秋景奇 幽径連延として 秋景奇なり
梯田滿地豊饒期 梯田地に満つ 豊饒の期
紅花黄穂青山下 紅花黄穂 青山の下
俯瞰悠然飽不知 俯瞰悠然 飽くを知らず
(註一) 梯田=棚田
(註二) 西風=万物を実らせるという秋風
(註三) 俯瞰=高いところから見おろすこと
平成二十八年九月 光琇
意訳 かすかに小道が続く秋の景色が素晴らしい。棚田が連なって収穫の時期を迎えている。青山の下、黄色い稲穂の中に赤い(彼岸)花が入り混じっており、悠然とこの景色を見ていると飽くことがない。
葛城古道は、大和と河内の境界をなす金剛山と葛城山の東側の山裾にある約10kmのあぜ道のような小道です。この古道周辺の一帯は、大和朝廷よりもはるか以前に栄えた葛城王朝の故地であると言われています。古寺、神社、史跡、神話などが沿道に多く残っているロマンあふれる古道です。眼下には奈良盆地が広がり、万葉集に詠まれた大和三山も眺望できます。
9月初旬にミラーレス一眼を購入し、下旬に稲穂と曼珠沙華(彼岸花)を撮影するツアーに参加しました。そのツアーでは、同行の先生から写真の撮影方法を指導してもらい、少しだけ撮影の技術を理解できました。棚田に広がる稲穂は収穫の時期を控えて黄金色に輝き、その間を縫うように深紅の曼珠沙華が咲き誇っていました。2色のコンビネーションが素晴らしく、撮影に飽くことがありませんでした。
京都市の北西のはずれに位置する嵐山は国の史跡名勝で、春は桜の、秋は紅葉の名所として大勢の観光客が押し寄せます。平安時代には貴族の別荘地となっており、当時の貴族たちが牛車で出かけて花鳥風月を楽しみました。
11月下旬にバス・ツアーで嵐山に行き、地区を散策した後大堰川で屋形船に乗りました。船頭さんは竿一本で20人ぐらい乗せた船を自由自在に操ります。暖冬のせいで紅葉はまだ少し浅かったようですが、雄大な景色を満喫し、平安貴族の気分を味わいました。
意訳 小舟が一艘目前の桂川を進んでゆき、その舟が生じる碧いさざ波の上に渡月橋が架かっている。振り向けば、嵐山の自然の音響が爽やかだ。また、白雲が流れている山の頂上付近では、秋の樹木が淡く鮮やかに紅葉している。
軽舟一棹桂川前 軽舟一棹 桂川の前
渡月木橋浮碧漣 渡月の木橋 碧漣に浮かぶ
囘首嵐山天籟爽 首を回らせば 嵐山 天籟爽やかに
白雲流處浅紅鮮 白雲流るる処 浅紅鮮やかなり
(註一) 碧漣=青いさざなみ
(註二) 天籟=自然になる風の音など
平成二十七年十二月 光琇
洛東夕景転清妍 洛東の夕景 転た清妍
萬樹森森疏水旋 万樹森々として 疏水旋る
思索逍遥山麓道 思索 逍遥す 山麓の道
路傍刻石憶先賢 路傍の刻石に 先賢を憶う
(註) 先賢=哲学者西田幾多郎をさす
平成二十七年十月 光琇
意訳 京都の洛東の夕景色はますます清く美しい。こんもりと茂った樹木の間を琵琶湖疎水がめぐっている。哲学者西田幾多郎がこの東山山麓の路を思索しながら散策したことが「哲学の道」とよばれる所以である。道端の石板に刻まれた彼の短歌をみると、幾多郎の人がらがしのばれる。
哲学の道は、銀閣寺付近から熊野若王子神社付近まで続く延長約1.5kmの散策路で、「日本の道百選」の一つになっています。哲学者西田幾多郎が思索にふけりながら散策したことからこの名が付いたようで、中間地点には彼の歌を刻んだ石碑があります。道に沿って琵琶湖疏水が北上しており、春には桜並木が秋には紅葉が彩りを添えます。雪化粧も好いようですが、滑って疏水に転落しないように気を付ける必要があります。
10月初旬に銀閣寺から南禅寺まで散策しました。紅葉はまだちらほらでしたが、疏水脇に白や黄色の花が咲いていました。外国人が多く、話をしていたら、Are you a philosopher?と言われました。最近猫が増えたようで、人が集まっているので覗いてみると、寝そべっている猫の写真を撮っている人たちでした。
天城路は、昭和45年に全長800mの新天城トンネルが開通してからは主にハイカーたちに利用されるようになり、ハイキング・コースは踊子歩道とよばれています。16.2km(約5時間20分)のこのコースをトンネルから南に下れば、伊豆の踊子と学生との足取りをたどることができます。トンネルを出て、河津川の清流に沿って南下していくと、二階滝を経て河津七滝巡りができます。そしてさらに湯ケ野まで下ると、踊り子の泊まった福田屋があります。
この詩は私の処女作です。2002年の10月に旧天城トンネルを視察した時に歩いた天城路を思い出しながら作詩しました。初めて伊豆を訪れた19歳の一高生川端康成が、旅芸人の一行と道連れになったときの淡い恋心を探る視察でもありました。
早辭隧道下淸流 早に隧道を辞して 清流を下れば
巨木遮天泉壑頭 巨木天を遮る 泉壑の頭
驟雨一過充碧水 驟雨一過 碧水充ちて
跳珠瀑布入吟眸 珠跳る瀑布 吟眸に入る
(註)泉壑=谷間の泉
平成二十三年七月 光琇
意訳 朝早くトンネルを抜けて清流の流れる小道を下れば、巨木が谷間の泉のまわりに茂って空を遮っている。その時、にわか雨がさっと降って泉に青い水が満ち、滝のしぶきが目に入ってきた。