◇白神山地
◇白糸瀑布
◇箕面瀑布
◇造幣局観櫻
◇兼六園
◇松島舟行
◇父母濱避暑
◇掬星台夜景
◇鷲羽山春望
◇白川郷雪景
◇舟行芦湖望富岳
◇香嵐渓紅葉
◇倉敷美観地区
◇巡富士五湖
◇天橋立股覗
白神山地は、青森県と秋田県の県境に位置し、尾根沿いに1000m級の山々が連なる山地群です。深い谷が入り組んで、谷壁が急傾斜をなすため、落差の大きな谷が数多くあります。また、十二湖(湖沼群の総称)があって、常にきれいな水を湛えています。十二湖の中で、青池は名前の通り水の色が濃い青色をしており、観光の目玉の一つになっています。ブナの天然林が東アジア最大規模で分布しており、動物の生態も豊富です。
山地群の全体は13㎢に及び、そのうちの1.7㎢が1993年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されました。登録地域は禁猟区に指定されましたが、それによるマタギ文化の消滅が危惧されています。また自然保護のため、核心地域への立ち入りを全面的に禁止すべきかどうかも論点の一つです。
意訳重なって連なる山々に白雲がかかっており、そのうちの一つによじ登ってくると、緑樹が枝を張りめぐらし、その足元には木こりしか使わないような小道が通っている。日の光があまり届かないので薄暗く、まるで仙人の棲む世界のようだ。もやがただよう湖上の静寂の中、人の気配に驚いて飛び立つ大鳥の羽ばたきが聞こえてきた。
白糸の滝は富士山麓の富士宮市にある美しい滝です。世界遺産構成資産でもあります。滝は川から落ちるのが普通ですが、白糸の滝は富士山の雪解け水が湧き出て滝となっているため、滝つぼの水は青緑色に澄んでマイナスイオンを発しています。高さ20m、幅150mの湾曲した前面に白糸が広がる様相を呈しており、日本の滝百選にも選ばれています。
私がカメラを準備していると、突然に滝つぼの上に虹が現れました。慌ててシャッターを切ろうとしたのですが、モタモタしているうちに残念ながら少し消えかけの虹になってしまいました。
意訳 富士山を近くに見上げる谷川のあたりは木の葉の緑に包まれている。そこでは、富士山の雪解け水が滝となって流れ落ちている。白い練り絹のような水の流れ落ちるさまは、暑さを忘れさせてくれるのに十分だ。ちょうどそこに虹が出てきて、日に照らされ滝と美しさを競っている。
9月の初めに、明治の森森林国定公園に小鳥の写真を撮るために訪問したのですが、小鳥の姿は川面で一回しか見ることができませんでした。しかもその鳥はすぐに飛び去ってしまいました。後から聞いた話では、小鳥の撮影はじっと腰を据えて、小鳥の来るのをじっと待たなければいけないそうで、短気な私には難しそうです。
せっかく来たので、滝の撮影に切り替えて何枚かとりました。箕面の滝は「日本の滝百選」に選ばれており、レースのカーテンを垂らしたような美しい姿に感激しました。周辺にはニホンザルが頻繁に出現し、私の見ている前で女性がビニール袋をとられていました。
箕面山腰曲径通 箕面の山腰 曲径通じ
渓流滾滾翠微中 渓流 滾々 翠微の中
飛泉千尺自天落 飛泉 千尺 天より落ち
宛似羅帷搖緑風 宛も羅帷 緑風に揺るぐが似し
(註) 羅帷=うすぎぬのとばり
令和五年年六月 光琇
意訳 箕面山の中腹の谷川に沿って曲がりくねった小道が通じている。もやがたち込める青々とした景色の中を清流が滾滾と流れている。その奥で、高いところから滝が流れ落ちており、その姿はまるで薄衣のとばりが緑の風で揺らいでいるようだ。
造幣局の桜の通り抜けは、通常の桜が終わりかける頃のヤエザクラの開花時期に行われます。今年は4月7日から13日までの一週間の開催です。大川(旧淀川)右岸の造幣局構内560mに植えられた多品種の桜を見ながら通り抜けられることから、明治の末ごろ「通り抜け」という名称が定着したようです。140品種、339本に咲く桜の花が人々の目を楽しませてくれます。
通り抜けの実施は先の大戦での中断がありました。また、コロナによる中断や人数制限の時期もありましたが、通常は毎年催されています。その裏では、植え替えなどメンテナンスに大変な手間をかけていただいていると思います。私の通った中学は天満橋にあったので、学校の帰りに道草をして友達と訪れたこともあり、それ以降も時々見学させてもらっています。
澱水長堤紅滿枝 澱水の長堤 紅 枝に満ち
淡粧濃抹競芳姿 淡粧 濃抹 芳姿を競う
依然勝景春方好 依然たる勝景 春 方に好し
終日盤桓獨案詩 終日 盤桓して 独り詩を案ず
(註一) 澱水=淀川をさす
(註二) 盤桓=ひと所を回り歩いて進みがたいさま
令和五年四月 光琇
意訳(旧)淀川の長い堤防に沿って、薄紅色の花(ヤエザクラ)が枝に満ち満ちている。薄化粧と厚化粧が美しさを競っているようだ。絶好の春日和の中、以前と変わらぬ素晴らしい景色だ。終日歩き回ったが去りがたく、一人で詩にすることを考えてみた。
金沢市に位置する兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の特徴をそのまま今に伝えています。加賀藩5代藩主・前田綱紀が、1676年にこの地にあった作事所を城内に移し、蓮池御亭(れんちおちん)を建て、その周辺を作庭したのが始まりです。以後、何代かにわたり、辰巳用水を取り入れて曲水をつくる、石橋を架ける、噴水をつくる、池を掘り広げるなどして、雄大な回遊式庭園が出来上がっていきました。
水戸市の偕楽園、岡山市の後楽園と並んで、日本三名園と言われており1985年に特別名勝に指定されました。桜、梅、新緑、紅葉、雪景色など、四季折々の姿を楽しむことができます。冬の積雪により松の枝が折れないよう、縄で枝を吊る、いわゆる雪吊は兼六園の風物詩になっています。
中国・宋の詩人である李格非の書いた「洛陽名園記」に、「洛人云、園圃之勝、不能相兼者六、務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望、兼此六者、惟湖園而已」とあり、傍線の六要素を兼備するのは湖園のみとなっています。日本にもこれらを兼備する庭園があるぞ、ということで、1822年に奥州白河藩主・松平定信は、加賀藩主前田斉広(なりなが)の依頼に応じて「兼六園」という名前を提供しました。
宏大池庭霜葉紅 宏大なる池庭 霜葉紅に
老松幽邃對蒼穹 老松は幽邃にして 蒼穹に対す
誰言六勝難兼備 誰か言う 六勝は 兼備難しと
欲検逍遥秋色中 検せんと欲し逍遥す 秋色の中
(註一) 幽邃=奥深くて物静かなこと
(註二) 六勝=宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望
令和五年二月 光琇
・第三十八回国民文化祭・いしかわ百万石文化祭二〇二三 秀作賞作品
意訳 池のある広い庭の木々は霜にあたって紅葉している。(雪吊りの縄が張られた)古い松の木は、物静かに青空に向かって立っている。誰かが言っていたが、庭園が六勝を兼備するのは難しいらしい。(六勝を兼備するということで命名された)兼六園について、この考え方を検証しようと思い、秋景色の中、園内を歩き回った。
一泊二日で東北4県を回る弾丸ツアーに参加し、朝の暗いうちから伊丹空港に行き、仙台空港まで飛びました。全国旅行支援事業対象の格安ツアーで、しかもお買い物クーポンまでもらえるというおまけ付きです。ちなみに、宮城県での訪問地は松島、山形県での訪問地は銀山温泉街、秋田県での訪問地は角館、岩手県での訪問地は中尊寺といったところです。
最初の訪問地は日本三景の一つである松島で、そこで船に乗り込みました。途中で吹雪になり、うまく雪の写真が撮れたので「雪の松島」というイメージで詩を作ろうと思ったのですが、私の詩力ではうまくいかず、結局雪なしの詩になりました。雪があってもなくても、自然の造形の素晴らしさには、ただただ驚かされるばかりです。
松尾芭蕉は塩釜から舟に乗り、松島の海岸にたどり着きましたが、中国の洞庭湖、西湖にも負けない風景だと絶賛したようです。また、あまりの美しさに句を詠めなかったともいわれています。実際には「島々や千々に砕けて夏の海」という句を作っているようですが、奥の細道に収録されていないところをみると、とてもそんな句では収まり切れない迫力の絶景だったという事かもしれません。
青螺点在水雲中 青螺 点在す 水雲の中
島影依稀煙咽風 島影 依稀 煙 風に咽ぶ
宜矣蕉翁終擲筆 宜なるかな 蕉翁 終に筆を擲しこと
滿眸天巧昔時同 満眸の天巧 昔時に同じ
(註一) 青螺=青い色のにし貝、転じて海上や湖上に浮かぶ島
(註二) 依稀=かすかでぼんやりしているさま
(註三) 蕉翁=松尾芭蕉をさす
令和五年一月 光琇
意訳 無数の島々が水雲に浮かび、島影はむせぶように吹く風に霞んでぼんやりとしている。かつて松尾芭蕉が「こんな壮大な景色はとても詩歌にできない」と言ってついに筆を投げてしまったのも当然に思える。そんな一面に広がる自然のたくみは、昔から変わることなく、ここを訪れる人々を楽しませてくれる。
瀬戸内周回ツアーで、香川県三豊市にある父母ケ浜(ちちぶがはま)に立ち寄りました。日本の夕陽百選に選ばれただけあって、夕陽が海に映える絶景を楽しむことができます。観光スポットとして全国的に有名になり、多い時は1日に1000人の観光客が訪れるようです。
海辺では、潮が引くと干潟に潮だまりができ、そこの波のない鏡のような水面への映り込みが面白いので、映り込み写真がよくSNSなどにアップされます。もちろん、落陽時と干潮とが重なることがそのような写真の条件になります。
逃來苦熱海辺郷 苦熱を逃れ来たり 海辺の郷
獨領涼風仰彼蒼 独り涼風を領して 彼蒼を仰ぐ
涵影斜陽揺水赫 影を涵す斜陽 水に揺らぎて赫く
忘機清爽鼓詩腸 機を忘れて清爽 詩腸を鼓す
(註) 忘機=世俗的な欲望を忘れること
令和三年七月 光琇
意訳 夏の暑さを逃れて海辺の郷(父母ケ浜)にやってきた。そこの涼しい風を独り占めして空のかなたを仰ぐと、地平線に沈まんとする夕陽が影を水に浸して赤く揺らいでいる。そんな景色を眺めていると、いやなことはすべて忘れて清く爽やかな気分になり、詩情がかき立てられた。
逃來苦熱海辺郷 苦熱を逃れ来たり 海辺の郷
獨領涼風仰彼蒼 独り涼風を領して 彼蒼を仰ぐ
涵影斜陽揺水赫 影を涵す斜陽 水に揺らぎて赫く
忘機清爽鼓詩腸 機を忘れて清爽 詩腸を鼓す
(註) 忘機=世俗的な欲望を忘れること
令和三年七月 光琇
瀬戸内周回ツアーで、香川県三豊市にある父母ケ浜(ちちぶがはま)に立ち寄りました。日本の夕陽百選に選ばれただけあって、夕陽が海に映える絶景を楽しむことができます。観光スポットとして全国的に有名になり、多い時は1日に1000人の観光客が訪れるようです。
海辺では、潮が引くと干潟に潮だまりができ、そこの波のない鏡のような水面への映り込みが面白いので、映り込み写真がよくSNSなどにアップされます。もちろん、落陽時と干潮とが重なることがそのような写真の条件になります。
意訳 夏の暑さを逃れて海辺の郷(父母ケ浜)にやってきた。そこの涼しい風を独り占めして空のかなたを仰ぐと、地平線に沈まんとする夕陽が影を水に浸して赤く揺らいでいる。そんな景色を眺めていると、いやなことはすべて忘れて清く爽やかな気分になり、詩情がかき立てられた。
鷲羽山は、瀬戸内国立公園に属し、倉敷市の代表的な景勝地です。鷲が羽を広げた様子に似ていることから「鷲羽山」と名付けられました。山頂は標高133mと低いですが、瀬戸内海に点在する大小50余りの島と雄大な瀬戸大橋の姿を俯瞰することができます。夕景の写真を撮影することはできませんでしたが、「日本の夕景百選」にも選ばれています。
大阪から明石海峡大橋・大鳴門境経由で四国にわたり、父母ケ浜で夕景を楽しんだ後に瀬戸大橋経由で大阪に戻る瀬戸内一周一泊ツアーの二日目に、鷲羽山に立ち寄りました。4月初めの桜全開の時期だったので、瀬戸内海全体が桜に囲まれていました。
滿眼山櫻競麗華 満眼の山桜 麗華を競い
鶯声一囀向人誇 鴬声一囀 人に向いて誇る
蒼茫碧海浮群島 蒼茫たる碧海 群島を浮べ
燦燦銀橋映彩霞 燦燦として 銀橋彩霞に映ず
(註) 銀橋=瀬戸大橋をさす
平成三十年四月 光琇
意訳 目の前いっぱいに咲く山桜は美しさを競い、鶯の鳴き声が美声を誇っているようだ。遥かに広がる青い海は、たくさんの島を浮かべている。そんな中。島をまたぐ銀橋が美しい霞に映えて輝いている。
白川郷は、岐阜県内庄川流域の白川村等にある合掌造りの集落です。1995年に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。毎年初に夜間ライトアップが行われており、2018年は、1月21・28日、2月4・12日の4回実施されました。
私が参加したのは最終日で、大雪の中北陸から東海北陸自動車道で何回もトンネルをくぐりながらのツアーでした。トンネルを抜けるごとに雪がひどくなり、無事に到着できるかどうか心配しましたが、何とか夕刻に到着できました。寒さで手がかじかんでシャッターを切るのに苦労しました。
群峰山麓轉凄涼 群峰の山麓 転凄涼
雪擁孤村埋草堂 雪は孤村を擁して 草堂を埋む
合掌妙姿燈焔耿 合掌の妙姿は 燈焔に耿たり
乾坤白景似仙郷 乾坤 白景 仙郷に似たり
(註) 耿=小さくぽっと明るいさま
平成三十年三月 光琇
意訳 信州の山脈のふもとは何となく寂しさが漂い、昨夜から降り積もった雪は、隔絶された村落を抱くようにして草ぶきの家をうずめている。合掌造りのたえなる姿はライトアップされて幽かに輝き、白一色の天地は仙人の住む世界のようだ。
湖水盈盈薄寒天 湖水盈々 薄寒の天
十里舟遊晴快然 十里の舟遊 晴れて快然たり
遙見秀峰穿淡靄 遥かに見る秀峰 淡靄を穿ち
凌將衆嶺彼蒼妍 衆嶺を凌ぎ将って 彼蒼に妍たり
(註) 盈々=水がいっぱいに満ちるさま
平成三十年一月 光琇
意訳 湖水が船窓の前に満ち満ちており、空も晴れ渡って湖縦断のクルーズは気持ちがいい。遠くに富士山の峰が淡い靄の上に首を出しているのが見える。周りの山よりひときわ高く、青空を背景に美しい姿を呈している。
芦ノ湖は箱根にある細長い湖で、面積は7.03㎢、水深は最大43.5m、平均15.0mです。水面の標高は723mと高所にあります。約3000年前の水蒸気爆発により山の一部が崩壊し、カルデラ内にあった早川をせき止めてできた湖です。豊かな青い水、湖周辺の山々、富士山の眺望、近くに温泉が多いというように、観光地としての要件がそろっており、多くの観光客を引きつけています。
ツアーでは、30分ほどかけて海賊船で芦ノ湖を縦断し、到着地の桃源台から大涌谷に移動すると、まだあちらこちらで噴煙が上がっていました。2015年5月に火山活動が活発化し、長い間入山が規制されていましたが、2016年4月に一部を除き解除されています。
香嵐渓は愛知県豊田市足助町(あすけちょう)にある、矢作川支流の巴川がつくる渓谷で、紅葉やカタクリの花などで有名です。1634年に足助にある香積寺の三栄和尚が、参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされています。香嵐渓のシンボルともいえるのが待月橋(たいげつきょう、下写真)です。命名されたのは1953年で、その後3回の架け替えを経て2007年に新たな橋となりました。
香嵐渓を訪れたのは11月の半ばで、紅葉の真っ盛りでした。この年の紅葉の人気投票で香嵐渓は全国でトップだったようで、さすがにその美しさには圧倒されました。特に待月橋たもとの紅葉のグラデュエ―ションは見事でした。
香嵐渓谷送秋時 香嵐の渓谷 秋送る時
白水滔滔涼透肌 白水 滔滔 涼 肌に透る
待月橋邊如入画 待月の橋辺は 画に入るが如く
錦楓染色萬枝奇 錦楓の染色は 万枝に奇なり
(註) 待月橋=香嵐渓のシンボル、たもとの紅葉の五色のグラデュエ―ションが美しい
平成二十九年十二月 光琇
意訳 香嵐渓は将に晩秋の季節。澄んだ清らかな水が滔滔と流れ、少し肌寒い。香嵐渓のシンボルである待月橋周辺は、まさに絵に描いたようだ。すべての楓の木々が、他の地では見られないような美しい紅色を染めだしている。
かつての倉敷は、江戸幕府の天領であり物資の集積地として栄えました。当時の物資輸送の主役は舟運であり、そのインフラとなったのが倉敷川です。川沿いには柳が植えられ、その外側には白壁の屋敷が並んでいます。現在、この地区一帯は倉敷美観地区に指定され、大原美術館、倉敷考古館、倉敷民藝館、倉敷アイビースクエアなどが立地しています。
バスツアーでここを訪れたのは2月だったので、まだ柳が芽吹いていませんでした。しかしそれでは絵にならないので、芽吹いているという想定で作詞しました。倉敷川では、写真のハクチョウ(詩では鴻鵠)が人を恐れることなく悠々と近づいてきたので、すかさずシャッターを切りました。
意訳 街中の川筋に柔らかい風が吹いている。柳の枝が風を受けてゆらゆらと揺れ、それと白壁とのコントラストが興味深い。大きな鳥(白鳥)がゆったりと青緑の水に浮かんでいる。日暮れて、夕陽がさざ波に差し込んできた光景が淡くて独特の風情を添えている。
12月中旬に一泊二日のバスツアーで富士五湖巡りをしました。一日目の夕方は、山中湖周辺で山頂に沈む夕陽がダイヤモンドのように光り輝く自然現象「ダイヤモンド富士」を鑑賞する予定でした。しかし、雲が厚く雪がパラついてきたので、残念ながらダイヤモンドどころか全く富士山の姿を拝むことはできずに、その日は河口湖の傍の温泉ホテルに移動して残念会となりました。
二日目は、日が昇る前からホテルの屋上でカメラを構えていると、眼前に雄大な富士山が現れて紅富士を鑑賞することができました。その日は一日中快晴で、河口湖越し、西湖越し、精進湖越し、本栖湖越しに素晴らしい姿をカメラに収めることができました。写真は本栖湖越しの富士で、千円札の裏に描かれている姿です。
遠来富嶽五湖傍 遠来 富嶽五湖の傍
拂曉無雲仰碧蒼 払暁 雲無く 碧蒼を仰ぐ
忽見皚皚冠雪景 忽見る 皚々たる冠雪の景
泰然屹立映朝陽 泰然として屹立 朝陽に映ず
(註一) 五湖=山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖
(註二) 払暁=夜明けがた
(註三) 碧蒼=青い空
(註四) 皚皚=明るく白いさま
平成二十八年十二月 光琇
意訳 はるばると富士五湖のほとりにやって来て、早朝に晴れわたった青空を仰いだ。すると、突然真っ白く冠雪した富士山が見えるではないか。どっしりとそびえ立つその姿は朝日に映えて実に美しい。
「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」と百人一首で歌われた天橋立は、京都府宮津市にある砂州です。その奇勝は松島・宮島と並んで「日本三景」のひとつに挙げられています。砂州の幅は20~150m、全長は3.6kmで、白い砂と数千本の松林は典型的な白砂青松といえます。古風土記によると、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天上から通うために梯子をかけて、天上と地上を往来していたところ、うっかり地上で一夜を過ごしてしまった時に、この橋が倒れて現在の姿になったそうです。高台の成相寺には、股のぞき台があり、股の間から天橋立を見ると、海と空が逆になって竜が天に昇るように見えます。
美しい景観維持のために、人工的な漂砂供給対策や薬剤散布による松枯れ防止策などの努力が続けられています。
欲極長橋登小丘 長橋を極めんと欲し 小丘に登れば
股間奇勝影如浮 股間の奇勝 影浮かぶが如し
飛龍隔水到天際 飛龍水を隔て 天際に到る
沙白松青一眸収 沙白く松青きを 一眸に収む
平成二十六年七月 光琇
意訳 天橋立をじっくり眺めようとして丘の上に上がった。そこで股間から覗くと、面白いことに天橋立が宙に浮かんでいるように見える。そしてその飛竜にも似た島影は天に昇っていくようだ。そんな白砂青松の島全体を一目に収めることができた。
富士山は日本の最高峰(3776m)であるだけでなく、その優美な姿は日本国の象徴にもなっています。また、浮世絵をはじめ多くの芸術作品の対象にもなってきました。2013年6月には、難産の末にユネスコの世界遺産に登録されました。それも自然遺産ではなく、関連する文化財群とともに「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」ということで文化遺産に登録されたのです。富士山は、古くから神の住む霊峰として畏怖され、富士信仰が生まれました。浅間神社に祀られている浅間大神(あさまのおおかみ)は、神界で最も美しいとされる女神の木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)であるとされています。
この詩は富士山が世界遺産に登録されることを知り、何回か見た富士山とその神霊をイメージして作ったものです。その年の秋には、山梨県の韮崎市に行く機会があったので、山中湖や河口湖畔で改めて美しい霊峰を拝ませてもらいました。写真は後日に撮った精進湖越しの子抱き富士です。
一望千里映朝陽 一望千里 朝陽に映じ
山影穿雲接彼蒼 山影 雲を穿ちて彼蒼に接す
綽約神霊何處坐 綽役たる神霊 何処に坐す
萬年留雪冠扶桑 万年 雪を留め 扶桑に冠たり
(註一) 彼蒼=蒼天
(註二) 綽約たる神霊=美しい女神である浅間大神(あさまのおおかみ)をさす
(註三) 扶桑=日本(中国の東方の島にあるという神木を産するところ)
平成二十五年五月 光琇
意訳 千里のかなたで朝日に映えて、富士山は雲を突き破って青空に接している。最も美しい女神といわれる浅間大神は何処におられるのだろう。頂上にはずっと雪を留め日本の象徴として冠たる姿を呈している。
月ヶ瀬村は、2005年4月に平成の大合併で都祁村とともに奈良市になりました。月ヶ瀬と言えば「月ヶ瀬梅渓」を思い浮かべるほど、梅の名所として有名です。一万本ともいわれる梅林と五月川の渓谷美は、春を待ちわびた人たちを引き寄せますが、交通の不便さからか、人ごみというような混雑はありません。シーズン中の月ヶ瀬は、梅の香りに満ち満ちています。温泉もあります。
以前に月ヶ瀬に行った時の光景を思い出して急に行きたくなり、2月に行ったのですが、この年は寒さのせいでしょうか、梅はまだつぼみ状態でした。改めて3月に行って、やっと見事な梅林を観ることができました。往きは名阪国道から行ったのですが、帰りは奈良市内につながる山道を走ったところ、縁石でタイヤの側面をこすってパンクし、夕闇迫る中でタイヤを取り換えるのに、四苦八苦しました。
萬樹紅英隔水鮮 万樹の紅英 水を隔てて鮮やかに
千枝白雪競淸妍 千枝の白雪 清きを競うて妍し
芳香馥郁侵寒發 芳香馥郁 寒を侵して発き
綴玉梅溪月瀬天 玉綴る梅渓 月ヶ瀬の天
(註一) 紅英=紅色の花
(註二) 馥郁=よい香りのただようさま
平成二十四年三月 光琇
意訳 木々の紅梅は川の上に鮮やかに咲いており、枝に咲く白梅は清らかさを競って美しい。素晴らしい香りが寒い空気に散じている。月ヶ瀬の玉が連なるような谷間の景色だ。