◇新春自贈
◇歳旦自壽
◇歳晩口占
◇元朝對鏡
◇元朝看雪
◇年頭試筆
◇歳朝言志
◇元朝有感
◇新年所懐
◇歳晩書懐
◇僖新春
◇迎新年
◇新年思
先日、四歳年上の兄が入っている施設を訪問すると、体が弱って下半身の力がなくなり車椅子になっていました。しかし、それよりもショックだったのは、私が誰かわからなかったことです。三年前には普通に会話をしていたのですが。これが私の四年後の姿かもしれないと思うといたたまれなくなりました。
七十歳を過ぎると、体の健康維持に気を使う必要がありますが、それと以上にボケ防止も重要と考えています。そのために知的活動もさることながら、人付き合いの機会を増やすようにしています。顔と名前を覚えたり、話題を考えたりすることによりボケ防止につながるからです。心身の健康を維持してピンピン・コロといきたいものです。
意訳 朝日が昇って光がさし渡り、新春の景色が開けている。おめでたい気が満ちみちて心は爽快だ。老人(私)は体こそ衰えてはいるものの、詩に対する思いはまだまだしっかりもっている。よし、隣のじいさんを呼んで、酒でも酌み交わしながら吟じることにしよう。
七十七年の人生を振り返ると、いろいろと浮き沈みがありました。若いころの傍若無人な自分を思うと反省しきりですが、過去はやり直すことができないので、前だけを見て今を楽しんでいます。年をとると、現役の時よりも人と接する機会が減るので、いろんなサークルに入るなどして機会を増やしています。また、たっぷり時間があるので、日本各地を旅行して自然や歴史に触れるように努めています。
写真は、JR高槻駅付近に建つツイン・タワー・マンションの間から上がる朝日です。朝日は一日の始まり、元旦は一年の始まりです。明るい一年になることを念じて家の近くの高台でシャッターを押しました。
意約 あわただしく過ぎた七十七年を考えると、いろんな思いが頭をよぎる。それはともかく、心安らかに新年を迎えられることを密かに喜んでいる。元旦、柔らかな風の中で初日の出を迎えることができた。そして、弾む心で自ら寿ぎ新年の詩を賦すのであった。
曈曈旭日迓新年 曈々たる旭日 新年を迓え
白首銜杯明鏡前 白首 杯を銜む 明鏡の前
顔色雖衰詩骨健 顔色 衰えたりと雖も 詩骨健たり
寄懐風月寫華箋 風月に懐を寄せて 華箋に写さん
(註一) 曈曈=日の光がさし通るさま
(註二) 白首=白髪頭、老人のこと
令和四年十二月 光琇
意訳 朝日がさし渡り新年を迎えた。その光を受けた明鏡の前で、白髪頭の老人(私)がすがすがしい気持ちで酒を飲んでいる。確かに顔色は衰えてはいるが、詩に取り組む心意気はまだ健在である。これからも、風月などに思いを寄せて詩作に励みたい。
私の家は高台にあるので、二階の窓から朝日の上るのが見渡せます。しかし、写真を撮ろうとすると、隣の家の屋根やテレビアンテナも映ってしまうので、遠景がひらけた近くの道まで出でシャッターを押します。朝日を見ていると不思議なもので、これから一日が始まるよ、頑張れよという気にさせてくれます。新年だと、一年が始まるという気になります。
朝起きると、鏡を覗いて髪を整えるわけですが、毎日見ているので齢をとっていくのがわかりませんが、日常生活では物忘れがひどくなったり、足腰が弱っているというのは自覚できます。しかし、そんなことをくよくよしてもどうしようもないので、今できることを楽しんで余生を送りたいと思っています。
老骨蕭然歎数奇 老骨 蕭然として 数奇を嘆じ
燈前心緒亂如糸 灯前 心緒 乱れて糸の如し
鐘聲百八歳将暮 鐘声 百八 歳将に暮れんとし
只待新春花滿枝 只だ待つ 新春 花枝に満つるを
(註) 数奇=不幸せな運命、不運
令和四年十一月 光琇
今年は、武漢肺炎がまだ収まりきらない中、妻が永眠し、その後不注意により右手首と左足を骨折するという不運が立て続けに起こりました。幸い、子供たちが近くに住んでおり、身の回りの世話をしてくれたので助かりましたが、全くの一人ぼっちであったら、野垂れ死んでいたかもしれません。これからの残り少ない人生、老人であることをしっかり自覚し、自愛していきたいものです。
秋の紅葉が散り尽くして年末が近づいてくると、「ああ、また一年経ってしまったのだなあ」と侘しい気持ちになりますが、春の来ない冬はないので、梅の開花を楽しみに待つしかないでしょう。
意訳 老人(私)はしょんぼりとして(今年立て続けに起こった)不運を嘆き、寒々とした燈火の前で心が糸が絡まるように乱れている。除夜の鐘が響き今年も暮れようとしている。そんな中、ただ春が来て枝いっぱいに花が咲くのを心待ちにしているだけだ。
去年は疫病の波が次から次へとやってきて、国全体が疲弊してしまいました。また年末には、大阪のビルで放火による無差別殺人という腹立たしい事件もありました。一方スポーツ界では、松山選手の日本男子初のマスターズ優勝、東京五輪でのメダルラッシュ、大谷選手の米大リーグでのMVP選出がうれしいニュースでした。海外では米国でバイデン政権のアフガンでの撤退の失敗が混乱を招きました。また、米中対立の激化により一触即発の状態が続いています。日本もその渦中におり、台湾問題を含めて、対岸の火事ではありません。
今年の元旦、高槻は晴れ渡り、東の空を真っ赤に染める初日の出を拝むことができ、幸先の良い新年となりました。今年は明るい年になることを祈念します。
瑞気蓬蓬迎歳時 瑞気 蓬々 歳を迎うるの時
閑庭一夜六花披 閑庭は一夜にして 六花披く
剩望雪嶺掲紅旭 剰え雪嶺に 紅旭の掲ぐるを望み
獨領乾坤忽有詩 独り乾坤を領して 忽ち詩有り
(註) 六花=雪の異称
令和四年一月 光琇
意訳 おめでたい気配が沸き立つ新春の明け方、窓から庭を見ると、一夜で雪が降り積もって真っ白になっている。それに加えて、初日の出が東の嶺から顔を出して空を真っ赤に染めている。そんな光景の中、天地を独り占めして、たちまち一詩思い浮かんだ。
昨年は、一昨年に引き続いて疫病が蔓延し行動が制約されました。年末には小康状態となりましたが新たにオミクロン株なるものが登場して予断を許さない状態が続いています。そんな鬱陶しい気分を払拭して、少し屠蘇を口にして一年の邪鬼を払いました。
漢詩づくりを始めてしばらくたった時、漢詩に誘ってくれた知り合いから「漢詩と詩吟とはセットだ」と言われて詩吟を始めましたが、もともと声が悪いのと声域が狭いことから、まだまだ詩吟を楽しむところにまでには至りません。また、家内が漢詩を書いた字を見て、「字が汚い」というので、通信教育でペン習字と毛筆を習い始めました。早く自作の詩を吟じたり、書にしたりできるようになりたいものです。
閑酌屠蘇拂鬱陶 閑に屠蘇を酌みて 鬱陶を払い
遊禽聲裏楽風騒 遊禽声裏 風騒を楽しむ
一詩賦得試揮筆 一詩 賦し得て 試みに筆を揮い
半酔閑吟気自高 半酔 閑吟すれば 気自ずから高し
(註) 風騒=詩文をつくる風流な遊び(詩経の国風と楚辞の
離騒より)
令和四年一月 光琇
意訳 元旦、のんびりと屠蘇を口にして、はやり病による鬱陶しい気分とともに今年一年の邪鬼を払った。そして庭で遊ぶ小鳥たちの声を聴きながら風流な気分で詩文をあれこれ考えてみた。やっと新春の詩ができたのでその詩を書き初めし、少し酔っぱらって吟じてみると、自然と気持ちが高まってきた。
去年は武漢肺炎に翻弄されましたが、今年はこの泥沼を脱して、「一陽来復」となるよう旭日に祈念しました。一陽来復とは、「苦しい時期が過ぎ幸運が開け始めること」です。
疫病が沈静化すれば、好奇心の赴くままに花鳥風月や社寺を尋ねて、詩語や影像などを仕入れたいと思っています。しかし、簡単に収まらないと思うので、当面は密を避けて近場限定にならざるをえないでしょう。
なお、結句の下三字「旅漂身」は、菅原道真の七言絶句「聞旅雁」の承句「共是蕭蕭旅漂身」より拝借しました。道真の「旅漂身」は、左遷の身のわびしさを表出した詩語ですが、私のそれは、自由気ままに旅するという意味で用いています。
一陽来復瑞雲新 一陽来復瑞雲新たに
偏願病痾終息春 偏に願う 病痾終息の春
老骨今猶好奇健 老骨 今猶 好奇健なり
偸閑屢楽旅漂身 閑を偸み屡旅漂の身を楽まん
(註) 言志=心に思うことを述べる
令和三年一月 光琇
意訳 新年、瑞雲(めでたい雲)も新たにかがやいている。疫病が終息して爽やかな気持ちで春を迎えたいものである。年老いた身ではあるが、今猶好奇心だけは健在なので、閑に任せて、しばしば浮草のように旅を楽しみたいと思う。
退職したら1日24時間が自分の時間になり、学生時代に戻ったようです。学生時代は自分の時間がいっぱいありましたが、お金がほとんどありませんでした。退職した今は、裕福ではないものの学生時代よりも少しお金があります。お金が少しあって自分の時間もあるという、この短くも素晴らしい期間を有意義に過ごすためには健康であらねばなりません。以下は、「人生100年時代の生きがいと幸福の哲学」という講和からの抜粋です。
高齢期の人生を不幸にする要素は、健康。経済(お金)・孤独の3Kで、このうち健康に関しては、自律的にやっていける健康寿命が大事です(日本人の健康寿命は平均72歳)。健康を保つための3要素は、栄養・運動・休養であり、健康のバロメーターは、快食・快眠・快便と言われています。また、体の健康だけではなく、心の健康や社会的健康も重要なので、特に高齢者は社会との接触を欠かしてはいけません。高齢者は、夢(生きがい)をもって若者にもたれかからないで、健康人生を楽しみたいものです。
軽風習習自東来 軽風習々として 東より来る
歳旦茅廬淑気催 歳旦の茅廬 淑気催す
竊喜雖貧塵事少 窃かに喜ぶ 貧と雖も塵事の少なきを
悠悠曳杖訪寒梅 悠々 杖を曳きて 寒梅を訪う
(註) 習習=たたみかけるさま
令和二年一月 光琇
意訳 気持ちのよい春の風が吹き入り、元旦のわが家にもめでたい気が漂っている。貧乏だが煩わしいことのない生活が喜ばしい。ゆったりとした気持ちで寒梅が咲いているところを探って出歩くことにしよう。
去年の漢字は「災」、私の住む高槻市は大阪府北部地震の後、台風21号が追い打ちをかけました。北部の山間部では、杉の木が軒並みなぎ倒されており、この付近に自宅があれば、間違いなく吹き飛ばされていたでしょう。最近は毎年各地で大きな災害が発生しているので、今年の漢字は「備」ということになるのでしょうか。
自然災害に対する予防もさることながら、病気の予防も高齢者には大きな課題です。健康に留意して健康寿命を延ばし、生き生きと第二の人生を楽しみたいものです。
白紅梅發自成春 白紅の梅発き 自ずから春を成す
瑞靄蓬蓬旭日新 瑞靄蓬々 旭日新たなり
願是前途無病苦 願わくば是 前途病苦無く
朋来和気酌芳醇 朋来たりて 和気 芳醇を酌まんことを
(註) 瑞靄蓬々=めでたいもやが立ち上るさま
平成三一年一月 光琇
意訳 白と紅の梅が開いて春を演出している。おめでたいもやが立ち上り、その中で昇る朝日を新たな気分で迎えている。これから先も病気や苦労がなく、友人たちと和気あいあいと酒を酌み交わすことができることを望む。
年を経るごとに一年の過ぎるのに加速度がついてきました。年末には「今年も一年が空しく過ぎたなあ」と、ため息が出ます。一年に二十数首の作詩をしましたが、出来の良い詩は少なかったと思います。
作詩力をつけるためには、多読、多作、多推敲が必要といわれており、私の場合は特に多読が欠けています。漢詩の本はそこそこ持っているのですが、積んでいるだけではダメですね。これからは古賢のすばらしい詩を多読して力をつけてきたいと思っています。
巷間景物太蕭疎 巷間の景物 太だ蕭疎
遙夜沈沈逼歳除 遥夜沈々 歳除に逼る
晩学難成私自愧 晩学成り難く私かに自ずから愧ず
燈前獨座對殘書 灯前に独座し 残書に対す
(註) 蕭疎=木の葉などが落ちて寂しげでまばらなさま
令和元年十一月 光琇
意訳 歳の暮れになると街の様子は何となく寂しげである。長い夜がしめやかに更けて大晦日が近づいてくる。遅くから始めた学問は成就しがたく、恥じ入るばかりである。しかし、そんなことを言っていても始まらないので、読み残した本を開いて知識を吸収することにしよう。
今年の1月は寒いですね。北陸は大変な雪です。地球温暖化が進んでいるというのは本当なのでしょうか。我が国は、雪害だけではなく、地震、火山、集中豪雨と自然災害のオンパレードです。最近ではさらに、自然災害に加えて隣国からの脅威にも備える必要があります。我々は、現世代が安全ならば好しということではなく、次世代のために国土強靭化に努める必要があります。
それはともかくとして、今年もめでたく新年を迎えることができました。孫は普段兄弟・いとこのいないことを愚痴っているので、正月ぐらいはみんな子供に戻って一緒に遊びます。しかし、この4月には4年生になるので、そろそろ親離れ・ジジババ離れをするのでしょう。さびしいですが、致し方のないことです。
旭日曈曈瑞気籠 旭日曈曈 瑞気籠み
閑庭鳥雀囀春風 閑庭の鳥雀 春風に囀る
屠蘇一醉恍如夢 屠蘇に一酔し 恍として夢の如し
孫女欣欣愛掌中 孫女欣欣 掌中に愛おし
(註) 欣欣=息を弾ませてよろこぶさま
平成三十年一月 光琇
意訳 朝日が昇っておめでたい雰囲気が満ちてきた。庭では小鳥たちも春風になかで囀っている。屠蘇を口にすると、気持ちがよくなり夢を見ているようだ。孫も息を弾ませて喜び、実に愛おしい。
今年は正月早々結構雪が降って積もりました。遊びに来ていた孫は、喜んで庭で雪遊びをしていましたが、大人たちはストーブにかじりついたままです。庭の山茶花(サザンカ)は赤い花を咲かせ、白い雪とのコントラストを際立たせました。山茶花は花の少ない冬に咲くので値打ちがあります。蛇足ですが、花が丸ごと落ちるのが椿、花びらが個々に落ちるのが山茶花だそうです。
新年になると、「今年はあれもやってみよう、これもやってみよう」と思いますが、途中でくじけてしまうことが多く、なかなか達成できません。いつも達成できないので、「やってみようと思うことが大事なのだ」と思って自分を納得させています。しかし、年ごとに1年が過ぎるスピードに加速度がついてきているので、できそうな目標を決めて着実に達成していくようにしていかないと、「気が付いたら一生が終わっていた」ということになりかねません。
寒気朔風揮玉塵 寒気朔風 玉塵を揮い
山茶花發此迎新 山茶花発きて 此に新を迎う
年年歳歳光陰早 年々歳々 光陰早し
依旧多心未転身 旧に依りて多心 未だ身転ぜず(註一) 朔風=北風
(註二) 玉塵=雪のこと
(註三) 多心=気が多い
平成二十七年一月 光琇
意訳 寒くなって北風が雪を降らせ、山茶花が咲く中新年を迎えることになった。年をとると時の過ぎるのが速くなるが、依然として気が多く、なかなか年寄りの生活に転ずることができないでいる。
また新しい年がやってきました。歳をとると、「昔はよかった」とか「あの時こうしておけばよかった」というように、過去を振り返ることが多くなります。しかし、すんだことはどうしようもありません。カラ元気と言われようとも、前を向いて生きたいものです。
実は、私のオリジナルでは転句(第三句)を「未消胸裏凌雲志(未だ消えず胸裏なる凌雲の志)」としていました。これに対して先生は、これでもいいが、「『身雖老漢思千里』でどうか」と言われました。これは、三国志の英雄である魏の曹操による「歩出夏門行」という古詩にある「老驥伏礰、志在千里(老驥は礰に伏すも、志は千里に在り)」を典故としています。何回か読み比べているうちに、「思千里」のほうが元気が出るので、そちらをいただくことにしました。
東天元旦曙光催 東天は 元旦の曙光催し
草屋閑庭春亦回 草屋の閑庭に 春亦回る
身雖老漢思千里 身は老漢と雖も 千里を思い
気魄揚揚傾玉杯 気魄揚々 玉杯を傾く
(註) 草屋=草ぶきの家(自分の家を謙遜していう)
平成二十五年一月 光琇
意訳 東の空には元旦の朝日が輝き、我が家の粗末な庭にもまた春の日差しが入ってきた。体は衰えてしまったが、これから先のことをあれこれ思い描き、意気揚々とした気分で杯を傾けている。