伏見港は、京都市伏見区にある河川港です。豊臣秀吉による伏見城築城の際に設けられ、それ以降、京阪間の水運の拠点として栄えました。江戸時代には三十石船が盛んに出入りし沿岸に多くの問屋が建ち並びました。幕末の鳥羽伏見の戦いで大きな被害を受けましたが、その後に活気を取り戻し、特に琵琶湖疏水の開通後は、琵琶湖に直接つながることにより多くの蒸気船が就航しました。
しかし第二次世界大戦後は、水運は鉄道やトラックなどの陸上輸送手段にとって代わられて衰退しました。現在、周辺は伏見港公園として整備され、四季折々の風情を楽しむことができます。水運については、十石舟、三十石船が観光用として運航されています。
意訳 そよそよと吹く春風が渡し場のあたりをめぐり、芽吹いたヤナギの枝が清流の上に垂れさがって風に揺れている。昔、この辺りは水運の船がにぎやかに行きかっていたと伝え聞くが、今はただ、一艘の舟(十石舟)が清らかなさざ波の上に浮かんでいるのが見えるだけだ。
東京五輪に間に合わせて、1964年に東海道新幹線が開通しました。そして、来年の2023年には人間でいえば還暦となります。明治以降の日本の近代化は、鉄道が支えてきたといっても過言ではありません。しかし戦後、近距離輸送は自動車が、遠距離輸送は航空機が担うようになって鉄道の地位は徐々に低下し、一時斜陽産業と言われた時期もありました。そんな中登場したのが東海道新幹線で、その後新幹線網は全国に広がり海外でも導入が進みました。日本の新幹線の誇りは高速性だけではありません。開通以来、列車事故による死傷者ゼロという安全性と、東京・大阪間の平均遅延誤差が1分以内という定時性も特筆すべきです。
2014年10月にはJR東海は国土交通大臣から、さらに超高速のリニア中央新幹線の工事実施計画の認可を受け、現在工事が進行中です。私は20年ほど前に、山梨県の大月の実験線で試乗したことがありますが、走り出して浮上すると、あっという間に時速500kmに達し、しかも振動がほとんどなかったのが感動的でした。これが開通すると、東京と大阪が1時間10分程度で結ばれるとともに、現東海道新幹線の代替路(バイパス)ができることにより、課題となっていた現在線の大規模な補修工事が可能となります。当初、東京から名古屋までの開通は2027年、さらに大阪までの開通も前倒しされて2037年とされていましたが、静岡県の川勝知事のクレームにより予定がずれ込むことになりました。これは国家的な損失といえ、一人の知事のために国益を損なうというのは由々しき問題です。
新線開通已六旬 新線 開通して 已に六旬
昨今随處急延伸 昨今 随処に 延伸急なり
目前技術加浮上 目前の技術は 浮上を加え
快走如飛絶比倫 快走 飛ぶが如く 比倫を絶す
(註) 絶比倫=同類のものよりひときわ優れている
令和五年八月 光琇
意訳(東海道)新幹線が開通して来年で60年になる。今では新幹線網がさらに広がり、延伸が急ぎ進められている。目下実現化しつつあるのは、(超電導による)浮上である。まるで飛ぶように走り抜ける技術であり、これは従来の走行方式よりひときわ優れたものだ。
余部鉄橋は、兵庫県香美町にある山陰本線の単線鉄道橋です。旧橋梁は1912年に完成し、下の長谷川の河床からレール面までの高さが41.45mという長い橋脚をもつ朱色の鋼橋で、宙を飛ぶようなレールは鉄道ファンを魅了してきました。しかし、1986年12月に回送列車の突風による落下事故があり、それ以降頻繁に運行規制が行われるようになりました。そのため、同じ位置にプレストレスト・コンクリートの新橋が計画され、2010年8月に完成しました。旧橋も一部展望施設「空の駅」として新橋と並んで保存されています。
下の駐車場から空の駅に上るのに息が切れました。夏に空の駅でビア・ガーデンを開き、ビア列車を走らせたら人が集まるかもしれません。しかし酔っ払いが転落しそうな気がします。
風雪百年車両支 風雪 百年 車両を支え
老躯困憊有誰知 老躯の困憊 誰有りて知るや
新橋敷設解苛役 新橋の敷設に 苛役を解かれ
隔地雙肩両影奇 地を隔てて肩を双ぶ 両影奇なり
(註) 余部鉄橋=兵庫県香美町にある山陰線の橋梁
令和五年七月 光琇
意訳 余部橋梁は、百年の風雪に耐えて山陰線の列車を支え続けてきた。その間に、躯体は経年疲労になっていることを誰がわかってくれていたのだろうか。この度、新しい(プレストレスト・コンクリート)橋が敷設されてきつい任務からやっと解放された。新旧の橋梁が地上高く並んだ姿は壮観だ。
明治の初め、東京遷都で衰退の危機にあった京都を元気にするため、琵琶湖疏水が計画されました。その計画の設計と工事の指揮に当たったのは、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したての田邉朔郎でした。1885年に着工されてから90年の第一疏水完成までに5年を要しました。
琵琶湖疏水の目的は、当初は水道、灌漑、水運、水力でしたが、田辺朔郎は、米国視察で得た知識をもとに水力発電の導入を決断します。その電力により京都に新しい工場が生まれ、日本初の路面電車が誕生しました。琵琶湖と淀川を結ぶ水運では、蹴上のところが急坂となるため、ここに舟をレール上の台車に載せて運ぶインクラインを導入しました。これを動かす動力は発電した電力です。インクラインは1948年に休止されましたが、疏水は今も京都市内に命の水を供給するとともに、哲学の道などの豊かな風情にも貢献しています。写真は南禅寺境内の水路閣で、今ではすっかり景観に溶け込んでいます。
通天閣は、大阪ミナミの新世界に立地する楼閣であり浪速文化の誇りです。初代の通天閣は、1912年に第5回内国勧業博覧会の会場跡地に建設されました。しかし、1943年に足元の映画館が炎上して解体することになり、その後に地元で再建のための事務所が設置され二代目が誕生しました。高さは108mで、近くには日本で一番高いあべのハルカスがあります。
最上部には特別屋外展望台「展望パラダイス」があり、大阪の景色を堪能できます。なんと貸し切りも可能なようです。通天閣のシンボルは守り神のビリケンさんで、足の裏をなでるとご利益があると言われています。
意訳 浪速の街頭は、まだ日の沈まないうちから酔っ払いが歩き回ってにぎやかに楽しんでいる。白銀色の楼閣(通天閣)はこの南の地にあって久しく、ここに遊びに来る人たちの往来によって騒がしい話声に満ち満ちている。
岩國青山映水清 岩国の青山 水に映じて清く
錦川滾滾木橋横 錦川 滾々 木橋横う
五連奇態古人技 五連の奇態 古人の技
錦帯名聲天下鳴 錦帯の名声 天下に鳴る
平成三十年十二月 光琇
錦帯橋は山口県岩国市の川幅200mの錦川に架かる5連の木橋です。江戸時代、岩国藩では城下町形成の過程で、藩政の中心である横山地区に行くために錦川を渡る必要があったのですが、そのための橋は出水により度々流失しました。そこで、川の途中に小島を作って橋脚を立て、アーチ橋築くことが考案され建設されました。5連の木橋(中央の3連はアーチ橋)は世界的にも大変稀な構造です。
1673年完成の翌年に洪水により流失しますが年内に再建されました。それ以降276年の間流失しませんでしたが戦後の台風により流失して再建され、また2001年には5橋すべての木造部分が架け替えられています。
意訳 岩国市の青山が川面に清らかに映り、滾々と流れる錦川の上に木橋(錦帯橋)が架かっている。その橋は5連の変った形をした太鼓橋であり、昔の人のすごい技に驚かされる。その美しい橋は日本中に知れ渡っている。
神戸は1868年の開港以来、港とともに発展し、2017年に開港150年を迎えました。神戸港は天然の良港として奈良・平安の時代から大陸や朝鮮半島との交流拠点として賑わい、1868年の開港後は諸外国との交流を通じて世界を代表する国際貿易港として発展してきました。
しかし、1995年に発生した阪神・淡路大震災により、神戸港も甚大な被害を受けました。2年間という短期間で港湾機能は復旧したものの、その間に貨物は内外の港湾に逃げてしまい、長らく低迷を続けてきました。それでも、2017年にはコンテナ取扱量がやっと震災前の水準に戻りました。今後の発展が期待されるところです。
雨後清宵六甲風 雨後の清宵 六甲の風
晩秋爽気遍寒空 晩秋の爽気 寒空に遍し
往時惨禍都如夢 往時の惨禍 都夢の如く
船影煌煌映水紅 船影煌々 水に映じて紅なり
(註) 煌煌=きらきらと光り輝くさま
平成二十九年十二月 光琇
意訳雨上がりの宵、六甲からの風がそよそよと吹きおろし、晩秋のすがすがしさが寒空に満ちている。阪神淡路大震災から復興した現在、あの神戸港のみじめな姿が嘘のように、船がきらきらした紅の光を海面に映して悠然と浮かんでいる。
阿倍野ハルカスは、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビルで、最上階は60階で屋上は300mです。2014年3月に全面開業し、高さ296mの横浜ランドマークタワーを抜き日本で最も高いビルになりました(2017年現在)。58階から60階は「ハルカス300」という展望台になっており、一般客に有料で開放されています。夕方になると夜景を撮る人たちで窓際がいっぱいになります。私もその人たちに混ざって東の生駒山方面と西の大阪湾方面を撮影しました。
蛇足ですが、生駒山の東側にある生駒市は私の生まれ故郷です。さらに蛇足ですが、ビルの足元に設置された横断歩道橋は、私が元いた会社による設計です。歩道橋にいるとわかりにくいのですが、この橋はabenoの頭文字をとってaの平面形状になっています。
凌雲樓閣立高廊 凌雲の楼閣 高廊に立てば
眼下光景暑可忘 眼下の光景 暑 忘るべし
東望青山懐故里 東に青山を望みて 故里を懐い
西臨湾上送斜陽 西に湾上を臨みて 斜陽を送る
(註) 凌雲=雲をしのぐ、雲より高く上る
平成二十九年八月 光琇
意訳 雲を凌ぐような楼閣(阿倍野ハルカス)に登って階上の廊下に立ち、眼下の光景を見渡すと夏の暑さを忘れることができる。はるか東の青山(生駒山)をのぞむと、私の故郷を懐かしく思い出される。そして西の大阪湾をのぞんで夕日の沈むのを見送った。
日本一の高さ186mを誇る黒部ダムは、戦後日本の急速な経済成長により生じた関西の電力不足を解消するために建設されました。昭和31年6月に黒部川第四水力発電所建設事務所が開設され、ダムの建設工事がスタートし、延べ1000万人の人々と171名の尊い犠牲により、昭和38年に完成の運びとなりました。最大の難所は、破砕帯(地下水をため込んだ岩が細かく割れた地層)を抜けるための大町トンネル(資材の輸送路)の工事で、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」として映画化されています。
黒四ダムを訪れたのは5月の初めで、長野県側からアクセスし、扇沢駅から関電トロリーバスで16分かけて到着しました。その後、黒部ケーブルカーや立山ロープウェイなどを乗り継ぐ立山黒部アルペンルートで富山県側に抜けました。立山を始め北アルプス連峰は雪で真っ白でした。
遥仰雪峰雲外巓 遥かに仰ぐ 雪峰 雲外の巓
碧湖窈窕水連天 碧湖窈窕 水 天に連なる
図南偉業想艱難 図南の偉業 艱難を想い
佇立長堤自儼然 長堤に佇立し 自から儼然たり
(註一) 窈窕=奥深く曲がりくねるさま
(註二) 図南=大事業を企てることのたとえ
(註三) 佇立=たたずむ
平成二十九年五月 光琇
意訳 遥かに見える雪に包まれた峰は雲の上に頂上が突き出ている。そのふもとの青緑色の湖(黒部ダム)の奥は川になり、曲がりくねって天に連なっているようだ。ダム建設という大事業は多くの困難を伴ったことだろう。長いダムの堤体にたたずむと、自然と厳粛な気持ちがわいてくる。
箱根登山鉄道は、小田原駅と強羅駅を結ぶ15.0kmの単線電気鉄道です。急勾配を曲がりくねりながら普通の鉄輪で上り下りするため、スイッチ・バックといって、何回か進行方向を変えながら運行します。それでも勾配の急なところは80‰(=8%)にもなり、また半径30mという急な曲線を曲がるところもあります。
このような急勾配・急カーブの山道を、トンネルを抜けたり鉄橋を渡ったりしながら、季節ごとに変わる箱根山の景色を楽しむことができます。新緑、紅葉、冬景色もいいようですが、6月に乗ったときには、あちらこちらに紫陽花(アジサイ)が満開でした。アジサイは土のpH によって色が変わります。箱根の土はアルカリ系なのでしょうか、赤っぽいアジサイが多かったような気がしました。私は青っぽいのが好きですが、そこまで私の好みに合わせてくれとは言いません。
凾山鉄路入雲霞 凾山の鉄路 雲霞に入り
林樾緑深栖鳥譁 林樾緑深くして 栖鳥譁し
曲曲攀来天下険 曲々攀じ来る 天下の険
彩陰満地紫陽花 陰を彩る 満地 紫陽の花
(註) 林樾=大きな木が上からおおったところ
平成二十六年六月 光琇
意訳 箱根山の鉄道は、高く雲と霞が群がるところまで登っていく。大きな木が上から覆い、そこに棲んでいる鳥がかまびすしく鳴く。天下の剣をくねくねと曲がりながらよじ登るその周りは一面アジサイが緑陰を彩っている。
明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m吊り橋です。中央支間長は1,991mで世界最長です。1998年4月に完成し、先に完成していた鳴門橋と一体となって本州と四国が陸続きになりました。工事途中の1995年1月に、マグニチュード7.2の兵庫県南部地震が発生して基礎地盤が動いたため、中央支間長が当初計画より1m長くなりました。
本州四国連絡ルートは、この神戸・鳴門ルートと、1988年に開通した児島・坂出ルート、1999年に開通した尾道・今治ルートの3ルートです。バブル崩壊前だからこんな大型事業が、しかも3ルートまとめて計画されたのでしょう。しかし、その後長大橋の計画は途絶えてしまったので、蓄えられた技術が継承されない恐れがあります。伊勢式年遷宮のように、20年ごとに1ルートずつ整備していったほうが良かったかも知れません。
碧水蒼茫島影遐 碧水蒼茫 島影は遐かなり
飛龍越海入雲霞 飛竜 海を越え雲霞に入る
架橋秀逸千年技 架橋秀逸 千年の技
聳宙雄姿映日誇 宙に聳ゆる雄姿 日に映じて誇る
(註) 島影=淡路島の島影をさす
平成二十五年四月 光琇
意訳 青々とした海が果てしなく広がっており、(淡路の)島影がはるかかなたに見える。そこに向かって、飛竜のような明石海峡大橋が海を越えて雲や霞がたなびく中に吸い込まれていく。この架橋にこめられた技術は長年にわたる研究の結果得られたもので、秀逸を極める。橋げたをささえる橋柱は天高く伸び、その雄姿は日の光を受けて我が国の土木技術を誇っているようだ。