旅懐・幽懐

彦根城のお濠
彦根城のお濠

◇秋日詠懐

◇喜寿述懐

◇客中聞鵑

◇寒夜旅懐

◇関宿旅懐

◇上高地銷夏

◇月下沙漠

◇古稀

◇喜寿述懐



秋日詠懐

客裏逢秋夜幾更 (かく)() (あき)()(よる) (いく)(こう)

帰心難遣睡難成 帰心(きしん) ()(がた)く (ねむり) ()(がた)

牀前起坐向明月 (しょう)(ぜん)()()明月(めいげつ)()かい

獨詠懐郷遠別情 (ひと)(えい)(かい)(きょう) 遠別(えんべつ)(じょう)

               令和五年九月  光琇


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意約 旅先の秋、夜何時ごろだっただろうか、日本に帰りたい気持ちがどうしようもなく、夜も眠れなくなってしまった。起き上がって枕元に坐ると、中秋の名月が上がっている。(日本でこの月を見ているかもしれない)家族のことを考えると、故郷に対する思いと家族と離ればなれになっている感情がわいてきて、その気持ちを一人詠じるのであった。


50歳をすぎてから東欧のB国に赴任した時のことを思い出して作詩しました。首都の都心の地下鉄の延伸事業に、日本の政府開発援助をつけることの可否を審査するための調査で、10人ぐらいのチームで仕事をしました。若いときに米国に一か月ほど出張したときは、何も感じなかったのですが、この時は少しホームシックになりました。

 中秋とは、陰暦で八月十五日のことですが、十五夜の月は必ずしも満月とは限りません。月の公転軌道は楕円なので、速度が一定ではないのが主な原因です。しかし今年の中秋(九月二十九日)は、たまたま満月と一致しています。


喜寿述懐

 私の新入社員時代の上司は、普段は外回りをしているのですが、会社に戻ると、仕事ができていないことを荒っぽい言葉で𠮟責し、今まで何をしていたかを細かく報告させました。新入社員なので、いきなり仕事ができるわけがありません。今でいうパワハラですね。そんなわけで、20代のころは遅くまでよく働かされました。30代のころからは、お客さんに対する責任感が芽生えて、これまた土日も含めてよく仕事をしました。何といっても現役時代で一番忙しかったのは、阪神淡路大震災が発生し、復興業務に従事した時です。家では「本当に仕事なのか」と疑われる始末でした。

 今は引退して、優雅な年金生活を送っています。仕事もせずに暮らしていける毎日を不思議に思うことがありますが、子供たちは「昔よく働いたからいいんじゃない」と、私に代わって言い訳をしてくれます。

弊衣蓬髪壮年時 弊衣へいい 蓬髪ほうはつ 壮年そうねんとき

忙裏怱匆歳月移 ぼう そう々として 歳月さいげつうつ

寸志無成頭已白 寸志すんし  かしら すでしろ

如今閑適恣棲遅 じょこん 閑適かんてきにして 棲遅せいちほしいままにす

(註一) 弊衣蓬髪=いたんで破れた衣服・乱れた髪、なりふ

                         り構わないこと

(註二) 棲遅=のんびり暮らす、また引退する

                                       令和五年五月  光琇


意訳 私の壮年期は、なりふりかまわず頑張ったものだ。多忙な日々が続き年月だけがあわただしく過ぎていった。ささやかな志さえも達成することなく已に白髪になってしまったが、今はゆったりとした時間の中で引退生活を勝手気ままに楽しんでいる。


客中聞鵑

破窗月冷睡難成 ()(そう) (つき)(ひや)やかに (ねむり)()(がた)

客裡無聊暗恨生 客裡(かくり) 無聊(ぶりょう)にして 暗恨(あんこん)(しょう)

独夜幾年何日返 (どく)() 幾年(いくねん) (いず)れの()にか(かえ)らん

鵑聲頻起望郷情 鵑声(けんせい) (しき)りに()こす 望郷(ぼうきょう)(じょう)

(註一) 無聊=何となく気が晴れない

(註二) 暗恨=自分だけの心に秘めている愁い事

            令和四年四月  光琇

意訳 壊れた窓から見える月は冷ややかでなかなか眠りにつけない。旅先で気持ちが晴れず、なんとなく愁いがこみ上げてくる。一人の夜がもう何年続いたことだろうか、いつになったら家族のいる家に帰れるのだろう。そんなことを考えていると、ホトトギスの声にも望郷の情がかき立てられる。

 50歳を過ぎてから東京に単身赴任となり、初めて関西を離れて生活することになりました。単身赴任は旅ではないですが、これを旅と見立てて作詩をしてみました。今まで関西の客先のもとで仕事をしてきたので、人的ネットワークがほとんどない状態でしたが、幸いだったのは、大学の同窓生が結構関東の役所や関連会社で要職についていることでした。彼らを巻き込んで、飲み会やゴルフ・コンペの幹事をしながら人脈を広げることができ、このときばかりは同級生や先輩・後輩人脈の有難さがよくわかりました。

 しかし、私生活では、何から何まで自分でしなければならないので、5年を過ぎたころから、そろそろ関西に戻りたいと思うようになってきました。もちろん、東京で一緒に仕事をしている社員に、そんな気持ちを悟られないように気をつけましたが。



寒夜旅懐

 かなり前の事ですが、冬の寒い時に滋賀県の片田舎に行き、夕方になって、なぜかお寺に泊めてもらうことにしました。旅館やホテルを予約できなかったからか、一度お寺にとまってみたいという好奇心からか、理由についての記憶は定かではありません。前後の記憶がとんでいる中で、広い部屋で、夜が寒くてなかなか眠れなかった記憶だけがしっかり残っています。世間のわずらわしさから逃れることができても、一人旅の侘しさからは逃れることができなかったのです。

 滋賀県は周知のように、わが国最大面積の琵琶湖があります。琵琶湖は近畿の水がめであるだけではなく、滋賀県の観光資源にもなっています。また、琵琶湖周辺には、世界遺産である延暦寺や国宝の彦根城などの名所旧跡がぎっしりと詰まっています。京阪神地域から近く、また名神高速道路やJR東海道本線が県内を縦貫しており、アクセスがしやすいのも滋賀県の魅了です。

欲逸紅塵入異郷 (こう)(じん)(のが)れんと(ほっ)異郷(いきょう)に入り

漫尋古刹宿僧房 (そぞ)ろに古刹(こさつ)(たず)僧房(そうぼう)宿(しゅく)

孤懐何事眠難就 ()(かい) 何事(なにごと) (ねむ)()(がた)

風霰聲中頻感傷 (ふう)(せん) 声中(せいちゅう) 感傷(かんしょう)(しき)りなり

           令和四年二月  光琇


意訳 日常のわずらわしさから逃れようとして異郷に行き、なんとなく古いお寺を尋ねて僧房に宿泊した。ところが、どうしたことか一人旅の侘しさが眠りを妨げ、風とあられの壁に打ちつける音の中、頻りに心を痛めるのであった。


関宿旅懐

古色蒼然投宿街 古色(こしょく)蒼然(そうぜん)たり (とう)宿(しゅく)(がい)

郵亭風物興無涯 郵亭(ゆうてい)風物(ふうぶつ) (きょう) 涯無(かぎりな)

往時絡繹茫如夢 往時(おうじ)絡繹(らくえき) (ぼう)として(ゆめ)(ごと)

破壁寒燈 破壁(はへき) (かん)(とう) (りょ)(かい)(かな)

(註) 絡繹=人馬が行き来して往来が絶えないさま        

          令和四年二月  光琇

 関宿は古代から交通の要衝であり、古代三関のひとつ「鈴鹿関」が置かれていました。江戸時代は、東海道53次の江戸から数えて47番目の宿場町として、参勤交代や伊勢参りの人々などでにぎわいました。現在、旧東海道の宿場町のほとんどが旧態をとどめない中にあって、唯一歴史的な街並みが残ることから、1984年、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

大阪側から鉄道で行ったのですが、JR京都線の草津駅でJR草津線に乗り換え、柘植駅でさらにJR関西本線に乗り換えて関駅で降りました。草津駅からはローカル線なので、スピードが遅く本数も少ないので時間がかかります。新名神の亀山ICで降りて国道1号で行くのが正解でした。


意訳 私の宿泊した関宿は、古い宿場町の雰囲気を残しており、旅籠の風物にも興味が尽きない。かつて参勤交代などで人馬が行き来して賑わったことだろう。そんな様子がぼんやりと夢のように脳裏に浮かぶ。古びた壁や寒燈は旅の思いとして心地よい。


上高地銷夏

上高地は美しい自然の中にあり、特別名勝かつ特別天然記念物に指定されています。上高地といえば、桂川に架かる河童橋とそこから眺める穂高連峰をイメージします。これ以外にも、大正池や田代池・田代湿原などの水鏡もパワースポットといえるでしょう。

 上高地を旅した時はすでに初夏でしたが、穂高連峰にはまだ雪が残っており、雄大な自然の中で旅の疲れも癒されました。もう一度いってみたい場所のうちのひとつです。

避暑獨尋湖岸頭 (しょ)()(ひと)(たず)湖岸(こがん)(ほとり)

風含淡靄汗珠収 (かぜ)(たん)(あい)(ふく)(かん)(しゅ)(おさ)まる

連峰殘雪忘長夏 連峰(れんぽう)残雪(ざんせつ)長夏(ちょうか)(わす)

林下溪聲洗旅愁 林下(りんか)(けい)(せい)(りょ)(しゅう)(あら)

 令和二年六月  光琇


意訳 暑さを逃れて一人で湖岸を訪れると、湿った風で玉の汗がすっと引いた。穂高連峰を見上げると、まだ雪が残っており、一瞬、夏の盛りであることを忘れ林、の中を流れる谷川のせせらぎで、すっかり一人旅の愁いが洗われた。


月下沙漠

海濱十里作沙丘 海浜(かいひん)十里(じゅうり) ()(きゅう)()

遙夜沈沈炎暑収 (よう)()(ちん)炎暑(えんしょ)(おさ)まる

月照淡煙駝上客 (つき)()らす (たん)(えん) 駝上(だじょう)(きゃく)

無言雙影誘邊愁 無言(むごん)双影(そうえい) (へん)(しゅう)(さそ)

(註) 辺愁=かたいなかや国境地方にいるために生じる

      もの悲しさ

           令和元年五月   光琇

 童謡「月の沙漠」の光景を漢詩にしました。月の沙漠の詩は、大正から昭和初期にかけて挿絵画家として人気を博した加藤まさをが発表し、これに佐々木すぐるが曲をつけました。童謡の舞台は、千葉県御宿町の御宿海岸といわれています。そこには、月の沙漠記念館が建てられており、その近くには、二頭のラクダにのった王子と姫をあしらった像があります。

「月の沙漠でラクダにのった二人を月が照らしている」光景の写真にしたかったのですが、そうなると、御宿海岸に行かなければならないので、とりあえずは、ラクダも月もない写真になってしまいました。将来、御宿町に行く機会があればそんな光景の写真を差し替えることにします。


意訳 どこまでも続く海辺の砂丘の中、長い夜がしめやかに更けて、やっと炎暑が収まってきた。月は淡いもやに煙るラクダに乗った旅人を照らし、その無言の2つの姿は辺境の物悲しさを誘ってやまない。


古稀

 5月の誕生日に孫から「おじいちゃん、古稀おめでとう」という電話がありました。まだ69歳だったので古稀は来年と思っていたのですが、数え年70歳のお祝いなのですね。小学生になったばかりの孫にそんなことを教えられるのも情けない話ですが、それはともかくとして、その日は家族集まって夕食会となりました。

 古稀という言葉は、盛唐の詩人杜甫の「曲江」という七言律詩の第四句「人生七十古来稀(人生七十古来稀(まれ)なり)」に由来しています。この詩では、「70歳まで生きることはないのだから、今のうちに借金をしてでもお酒を飲んで人生を謳歌しよう」と言っているのです。盛唐の時代には、70歳まで生きる人はめったにいなかったのでしょう、杜甫も770年に59歳で病没しています。ところが今は平均寿命が延びたため、古稀になってもあと10年残っています。はたして楽しい余生(残燭)が待っているのでしょうか。

人生七十夢中過 人生じんせい七十しちじゅう 夢中むちゅう

老骨餘年知幾何 老骨ろうこつねん んぬいくばく

壯志難成空逝水 そうがたく むなしくせいすい

樽前憶昔獨吟哦 樽前そうぜん むかしおも ひと吟哦ぎんが

 (註) 壮志=望みの大きい志

             平成二十七年六月  光琇

意訳 70年の人生が夢のように過ぎ、この老人の余生がどれくらいあるのか知りたいものだ。望みが叶えられないまま空しく年月が流れていった。酒を飲んで昔を思い出しながら一人で詩でも吟じることにしよう。



思辞職ー職を辞するを思うー

第一線を退く時の心境です。大学卒業以来40年以上ひとつの会社でお世話になり、最後は経営に参画する機会にも恵まれました。以前、あるビジネス誌に「企業の寿命は30年」という特集があったのを記憶しています。浮沈の激しい業界にあって、私の入社以前の期間も含めると、この寿命を上回る70年間会社が存続してきました。諸先輩や現役社員の並々ならぬ頑張りが会社を支えてきたということです。

 私自身は、会社という舞台を与えられたにもかかわらず、何を達成できたのかよくわからないまま第一線を退くことになりました。しかし後輩たちにあっては、この舞台で大いに自己実現にチャレンジしてもらいたいと思います。

 引退となると、昔のことが次から次へと脳裏をよぎりますが、「過去を肥やしとして前進あるのみ」と思わないと老け込んでしまいます。

四十餘年役此身 四十しじゅうねん えき

不嫌労苦對風塵 労苦ろうくいとわず 風塵ふうじんたい

青雲路遠棲遅季 青雲せいうんみちとおく 棲遅せいちとき

往時茫茫感更新 往時おうじぼう々 かんさらあらたなり

(註) 棲遅=のんびり休む、安らかに暮らす、 

      引退する

      平成二十六年四月  光琇


意訳 四十有余年この身を会社に捧げ、苦労をいとわずにいろんな仕事に取り組んできた。星雲の志をもってやってきたが、なかなか思うようにいかないまま引退となってしまった。当時のことを思い出すと気持ちがさらに新たになる。